前提からして誤り――「ボルティモア卿が議会に寛容を奨励した」という説明について
「ボルティモア卿が議会に対して宗教的寛容を奨励した」という、よく見かける説明は、歴史的には正確とは言えません。この政策の発端となった人物として挙げられるべきは、メリーランド植民地(現在のメリーランド州)の領主(propritietor)であったカルバート卿(Lord Calvert)です。
1649年「メリーランド寛容法」の制定
カルバート卿は1649年、メリーランド寛容法(Maryland Toleration Act)を通じてこの政策を開始しました。この法律は、当時の西洋世界において最も早い時期に成立した、法的な信教の自由の保障の一つとして高く評価されています。
政策の背景――バージニア憲章の撤回と入植者募集
寛容法の成立には、実利的な動機も大きく関わっていました。国王チャールズ1世がバージニア植民地の勅許(憲章)を取り消した後、同地に入植した人々の多くが、イングランド国教会(the established church)の信徒ではないことが判明しました。そこで、こうした非国教徒の人々をも受け入れる姿勢を示すことによって、メリーランドへ新たな移住者を呼び込もうとしたのです。
補足:呼称の混同と寛容法の限界
なお、カルバート家の当主が代々襲爵する貴族称号こそが「ボルティモア男爵(Baron Baltimore)」であるため、「ボルティモア卿」と「カルバート卿」という呼称が混同されやすいのも事実です。また、メリーランド寛容法が保障したのは、あくまで三位一体を認めるキリスト教各派(カトリックとプロテスタント)の間での信仰の自由であり、違反者には厳しい刑罰が科される場合もあったなど、現代的な意味での包括的な信教の自由ではなかった点には留意が必要でしょう。