紀元前44年3月15日、ユリウス・カエサルがブルータスら元老院議員たちによって暗殺されると、ローマは内乱と政治的混乱の時代へと突入しました。カエサルの死は共和政の復活をもたらすどころか、むしろ帝国への移行を加速させることになります。ここでは、カエサル暗殺後に起こった主要な出来事を時系列で解説します。
1. 権力の空白
カエサルは数年にわたりローマ政界の頂点に君臨してきたため、その死は巨大な権力の空白を生み出しました。カエサル派や共和派など複数の勢力が台頭し、それぞれがローマの主導権を握ろうと激しく争うことになります。
2. 第二回三頭政治の成立
カエサルの腹心だったマルクス・アントニウスは、カエサルの養子オクタウィアヌス、そしてレピドゥスと手を組み、「第二回三頭政治」を樹立しました。彼らは権力を固めるとともに、政敵の排除を進めていきました。
3. フィリッピの戦い
紀元前42年、ブルータスとカッシウス率いる共和派が三頭政治に対抗しました。両軍はマケドニアのフィリッピで激突し、この戦いで三頭政治側が勝利を収め、共和派は事実上壊滅します。
4. プロスクリプティオ(粛清)
三頭政治家たちは政敵を一掃するため、「プロスクリプティオ」と呼ばれる粛清を実施しました。多くの元老院議員や市民が殺害されるか、亡命を余儀なくされました。有名な演説家キケロもこの粛清の犠牲となっています。
5. レピドゥスの失脚
三頭政治の三人目であるレピドゥスは次第に影響力を失い、アントニウスとオクタウィアヌスによって権力の座から外されていきました。
6. アントニウスとオクタウィアヌスの対立
アントニウスはエジプトの女王クレオパトラと結びついて東方に拠点を置いた一方、オクタウィアヌスはローマに留まり勢力を固めました。両者の緊張は高まり続け、ついには内乱へと発展します。
7. アクティウムの海戦
紀元前31年、運命を分けるアクティウムの海戦が勃発しました。オクタウィアヌス軍が勝利を収め、アントニウスとクレオパトラはそれぞれ自ら命を絶ちました。
8. オクタウィアヌスの台頭と帝政の始まり
アントニウスとクレオパトラの敗北により、オクタウィアヌスはローマ唯一の支配者となりました。彼は「アウグストゥス」の称号を与えられ、初代ローマ皇帝となります。これにより共和政ローマは約500年の歴史に幕を閉じ、ローマ帝国の時代が始まったのです。
皮肉なことに、共和政を守るために行われたカエサルの暗殺は、13年間に及ぶ混乱を経て、ローマを皇帝による統治という新たな時代へと導く結果となりました。