歴史物語

1805年7月下旬に何が起こったのか?ルイス・クラーク探検隊の進軍

1805年7月下旬、メリウェザー・ルイスとウィリアム・クラーク率いるアメリカ探検隊は、ミズーリ川の源流を目指して上流へと進み続けていました。7月28日頃のこの時期、探検隊は旅の中でも特に重要な転換点を迎えつつありました。

スリーフォークス(三本川合流点)の発見

7月25日、探検隊はミズーリ川が3つの支流に分かれる「スリーフォークス」に到達しました。隊は最大の流れを「ジェファーソン川」と名付け、探検計画の立案者であるトーマス・ジェファーソン大統領に敬意を表しました。残る2つの川には、国務長官ジェームズ・マディソンと財務長官アルバート・ギャラティンの名前が贈られています。ここで彼らは、ついにミズーリ川の真の源流へと近づいたことを確信したのです。

ロッキー山脈越えへの備え

それまでの6月中旬から7月初旬にかけて、探検隊はミズーリ川のグレートフォールズ(大滝)と呼ばれる急峻な滝群を、船と物資を陸路で運ぶ過酷なポーテージ(陸上搬送)によって迂回していました。7月下旬の時点で、彼らは大陸分水嶺であるロッキー山脈の越境という、旅全体で最も困難な試練へ向けて着実に前進していました。

この時期の着実な進軍は、同年8月12日のレミ峠における大陸分水嶺越え、そして太平洋岸への到達という偉業へとつながっていくことになります。