19世紀末のアメリカにおいて、多くの白人アメリカ人は、ネイティブ・アメリカン(先住民)の間で広まっていた「ゴーストダンス(幽霊舞踏)」と呼ばれる宗教的実践を、重大な脅威とみなしていました。彼らは、この踊りとそれに伴う信仰が、先住民による合衆国の西進拡大への抵抗を強めるものだと信じていたのです。
ゴーストダンスとは何か
ゴーストダンスは、1890年頃にパイユート族の預言者ウォヴォカ(Wovoka)の教えをきっかけに、平原部の諸部族へと急速に広がった宗教運動です。踊り手たちは、この儀式によって亡くなった祖先の霊と再会し、絶滅の危機にあったバッファローの群れが戻り、白人入植者が去った後の新しい世界が訪れると信じていました。
「見えなくなる」という信仰
一部の部族、特にラコタ・スー族の間では、特別に作られた「ゴーストシャツ」を着て踊れば弾丸を通さず、兵士の目から身を隠せる——つまり「見えなくなる」——と信じられていました。この信仰は、土地と生活様式を奪われ続けた先住民にとって、希望をつなぐ精神的な支柱となりました。
アメリカ人が抱いた恐れ
しかし、多くのアメリカ人はこの宗教運動を単なる信仰ではなく、政治的な反乱の兆候として捉えました。ゴーストダンスと「見えなくなる」という信念が、先住民が合衆国の拡大政策に対して起こしうる抵抗を強化すると考えたのです。軍当局や政府関係者の間では、この運動が武装蜂起につながるのではないかという警戒心が一層高まりました。
悲劇的な結末:ウーンデッド・ニー虐殺
こうした恐怖と誤解は、悲劇的な結末を招きました。1890年12月29日、サウスダコタ州ウーンデッド・ニー・クリークにて、アメリカ陸軍第7騎兵連隊が、ゴーストダンスに関与したとみなされたラコタ族の男女や子ども約250人以上を殺害しました。この「ウーンデッド・ニー虐殺」は、インディアン戦争時代の事実上の終焉を象徴する事件として記憶されています。
ゴーストダンスは本来、暴力ではなく平和と再生を求める宗教的実践でした。しかし、当時のアメリカ社会に根付いていた不安と偏見により、それは抵抗運動の象徴として危険視され、取り返しのつかない結果につながってしまったのです。