ウィリアム・ブラッドフォードとはどんな人物か
ウィリアム・ブラッドフォード(1590年〜1657年)は、1620年にメイフラワー号で新大陸へ渡った「ピルグリム・ファーザーズ」の一人であり、プリマス植民地の初代知事として30年以上にわたり植民地の発展を支えた指導者です。彼が残した日誌『プリマス開拓史』は、初期アメリカ史を知る上で最も重要な一次資料の一つとされています。
最初の結婚と息子ジョン
ブラッドフォードは1613年、オランダ・アムステルダムでドロシー・メイと結婚しました。夫婦は宗教的自由を求めてオランダのライデンへ移り住み、1617年頃に息子ジョンが誕生しています。
しかし、1620年のメイフラワー号による航海には悲劇が伴いました。船がケープコッド沖に停泊していた1620年12月、妻ドロシーが水死してしまったのです。事故だったのか、過酷な状況の中で自ら命を絶ったのかは今も議論されています。一方、息子ジョンはライデンに残されており、後に新大陸へ渡って父と再会しました。
再婚と娘マーシーの誕生
1623年、ブラッドフォードはアリス・カーペンター・サウスワースと再婚しました。この結婚で夫妻の間には3人の子どもが生まれています。
- ウィリアム(長男)
- マーシー(長女・娘)
- ジョセフ(次男)
つまり、「ウィリアム・ブラッドフォードに娘はいたのか?」という問いへの答えは「はい」です。娘の名前はマーシー・ブラッドフォードといいます。
ジョン・オールデンとの関係について
しばしば混同されがちですが、メイフラワー号の乗客ジョン・オールデンが結婚したのは、同じ乗客だったプリシラ・マリンズです。この夫婦の恋物語は、詩人ヘンリー・ワズワース・ロングフェローの作品でも広く知られています。ブラッドフォードの娘マーシーがオールデンと結婚したという歴史的記録は存在しません。
まとめ
ウィリアム・ブラッドフォードには、最初の妻ドロシー・メイとの間に息子ジョン、後妻アリスとの間に長男ウィリアム、娘マーシー、次男ジョセフの計4人の子どもがいました。娘はマーシーただ一人です。彼の子孫たちはその後もプリマス植民地の成長と繁栄に貢献し、その血筋は今日まで受け継がれています。