1666年にロンドンを襲った「ロンドン大火(Great Fire of London)」は、市街の大部分を焼き尽くした歴史に残る大火災です。ここでは、この大火に関する興味深い事実を5つご紹介します。
1. 火元はパン屋——プディング・レーン
モニュメント(記念塔)の外に立つ記念碑によれば、ロンドン大火の公式な出火地点はプディング・レーン(Pudding Lane)です。ここには王室御用達のパン職人トマス・ファリナー(Thomas Farriner)が経営するパン屋があり、火災はこの店から発生しました。伝えられるところによると、使用人の女性(サラという名だったと言われます)がパンをオーブンに置き忘れたままにしていたことが発端となり、やがて大火へと燃え広がったのです。
2. 市長の初動の遅れ
当時のロンドン市長サー・トマス・ブラッドワース(Sir Thomas Bludworth)の対応次第で、被害はさらに深刻化しかねませんでした。火災の報告を最初に受けた際、彼はそれを軽んじ、有名な言葉として残る「女の戯言」程度に受け流したと伝えられています。この初動の遅れはロンドンにとって大きな代償となり得ましたが、やがて彼も事態の深刻さを悟り、対応に追われることになりました。
3. 極端な気候が延焼に拍車
大火が発生した時期は、異常気象が続いたことから「驚異の年」と呼ばれる時代と重なっていました。記録的な厳寒の冬の後、非常に暑く乾燥した夏が訪れており、こうした気候条件が火の急速な延焼を助長し、鎮火を一層困難にしました。
4. 災禍がもたらした都市再建の好機
大火による壊滅的な被害は、皮肉にもロンドンの再生と、当時の最新建築様式を導入する絶好の機会となりました。著名な建築家サー・クリストファー・レン(Sir Christopher Wren)は火災後の再建事業の中心人物となり、ロンドンを代表する数多くの象徴的建造物の設計を手がけました。中でも特に有名なのが、壮麗なドームで知られるセント・ポール大聖堂です。
5. 火災保険の誕生と疑惑
大火はロンドンに莫大な経済的負担をもたらし、初期の火災保険の仕組みが生まれるきっかけとなりました。保険会社が次々と設立され、火災被害への補償を提供しましたが、その保険料は非常に高額でした。さらに一部では、保険会社自身が保険金目当てで放火したのではないかという批判も起こり、議会による調査にまで発展したといいます。
こうしてロンドン大火は、単なる悲劇にとどまらず、都市計画や建築、さらには金融制度にまで大きな影響を与えた出来事として、今日も語り継がれています。