歴史物語

エルンスト・タールマン記念館 ― ハンブルクに残るドイツ共産党指導者の足跡

エルンスト・タールマン(Ernst Thälmann)は、1886年にハンブルクで生まれたドイツ共産党(KPD)の政治指導者です。1915年には第一次世界大戦に伴い、ドイツ帝国軍に召集されました。

エルンスト・タールマン記念館 ― ハンブルクに残るドイツ共産党指導者の足跡

労働者階級から革命家へ

タールマンは労働者階級の出身でした。開戦前の数年間、彼はハンブルク港の荷役作業員として、船への貨物の積み降ろし業務に従事していました。政治活動を始めたのもこの時期で、1903年にはドイツ社会民主党(SPD)に入党しています。

当時は比較的穏健な活動家だったタールマンでしたが、塹壕で死と向き合った何千もの兵士たちと同じように、戦争は彼に大きな影響を与えました。1917年には、依然として兵士として従軍しながら、ドイツ独立社会民主党(USPD)に加わります。そして1918年には、世界大戦への不満から各地で起こった軍部隊の反乱に参加し、最終的には所属部隊を脱走しました。

ドイツ共産党の創設と党首としての日々

戦後、タールマンはさらに急進化していきます。1920年にはドイツ共産党(KPD)の創設メンバーの一人となり、1925年から1933年まで国会(ライヒスターク)議員として同党を代表しました。1932年には、パウル・フォン・ヒンデンブルク元帥やアドルフ・ヒトラーとともにドイツ大統領選挙に出馬しています。

逮捕からブーヘンヴァルトでの最期まで

ナチ党が政権を掌握してからわずか数日後、タールマンはドイツ警察によって逮捕されました。その後、二度と自由の身となることはありませんでした。続く11年間、彼は各地の刑務所や強制収容所に収監され続けます。そして1944年8月18日、ヴァイマル近郊のブーヘンヴァルト強制収容所において、SS隊員の手によって暗殺されたのです。

記念館として残された最後の住まい

ナチス・ドイツ成立前、タールマンはハンブルクを選出するドイツ国会の議員を務めていました。そんな彼がこの街で過ごした最後の住居は、現在、政治活動家にしてドイツ共産党の創設指導者であったタールマンを偲ぶ記念博物館として公開されています。

エルンスト・タールマン記念館へのアクセス

エルンスト・タールマン記念館は、ハンブルク市北部のタルペンベク通り(Tarpenbekstraße)に位置しています。地下鉄U1線で「フートヴァルカー通り(Hudtwalckerstraße)」駅下車でアクセスできます。