歴史物語

バウンティ号の反乱とは?1789年に英艦で起きた有名な反乱事件の全貌

「バウンティ号の反乱(Mutiny on the Bounty)」は、1789年にイギリス海軍の船HMSバウンティ号で発生した、世界史上最も有名な反乱事件の一つです。この事件は数多くの書籍や映画の題材となり、現代でも広く知られています。

反乱が起きた船の名前は?

反乱が発生した船の名前はHMSバウンティ号(HMS Bounty)です。バウンティ号は元々石炭運搬用の商船として建造されましたが、後にイギリス海軍によって買い上げられ、南太平洋への調査・輸送任務に従事していました。

反乱の背景と経緯

パンノキ移植という任務

1787年、ウィリアム・ブライ艦長の指揮の下、バウンティ号はタヒチで採取したパンノキ(ブレッドフルーツ)の苗木を西インド諸島へ移送する任務を帯びて出航しました。これは、現地の労働者へ安価な食料を供給することを目的とした計画でした。

タヒチでの長期滞留

バウンティ号は1788年10月にタヒチへ到着し、苗木の準備が整うまで約5か月間滞在しました。この期間、多くの乗員はタヒチの温暖な気候や豊かな生活、現地の人々との交流に強く魅了されることになります。

1789年4月28日、反乱勃発

タヒチを出航してまもない1789年4月28日、一等航海士フレッチャー・クリスチャンを中心とする一部の乗員がブライ艦長に対して反乱を起こしました。クリスチャンたちは、ブライ艦長と彼に忠誠を誓う18名の乗員を小舟に乗せ、そのまま海上へ追放したのです。

その後の顛末

追放されたブライ艦長一行は、わずかな食料と水だけで驚異的な操縦技術を発揮し、約5,800キロメートル先のオランダ領ティモール島まで辿り着き、奇跡的に生還を果たしました。この偉業は航海史における伝説的な出来事として語り継がれています。

一方、反乱者の一部はタヒチに残留しましたが、クリスチャン率いるグループは無人島だったピトケアン島へ移住しました。1790年には、身元発覚を防ぐためバウンティ号本体もピトケアン島沖で焼却・沈没させられたとされています。

まとめ

有名な反乱船の名前は「HMSバウンティ号」。1789年に起きたこの反乱は、厳しい艦内統制と楽園のようなタヒチとの対比、そして追放された艦長側の奇跡的な生還劇など、ドラマ性の高い要素が多いため、200年以上経った今なお人々の想像力を掴んでやみません。