1587年、イギリスのウォルター・ローリー卿の支援のもと、100名以上の入植者たちが現在のノースカロライナ州ロアノーク島に入植しました。しかし、1590年に補給物資を持って戻った船団が目にしたのは、もぬけの殻となった植民地だけでした。この「失われた植民地(The Lost Colony)」として知られる事件は、今なおアメリカ史最大の謎の一つとされています。
先住民が入植者を殺害した確固たる証拠はない
結論から言えば、先住民(ネイティブ・アメリカン)がロアノークの入植者を殺害したことを裏付ける決定的な証拠は存在しません。入植者の失踪原因については複数の説が唱えられており、その中には現地の先住民族による襲撃の可能性を挙げるものもありますが、確証を得るには至っていません。
主な失踪の仮説
1. 先住民への同化説
最有力視されているのが、入植者が周辺の先住民族の集落に移り住み、同化していったという説です。実際、後年この地域を訪れたヨーロッパ人たちは、青い目や金髪といったヨーロッパ系の特徴を持つ先住民を目撃したと報告しています。また、放棄された植民地の柱には「CROATOAN(クロアトアン)」という文字が刻まれていたことが知られており、これは近隣のクロアトアン族との合流を示唆しているとも解釈されています。
2. 別の場所への移住説
干ばつや食料不足に見舞われた入植者たちが、生き延びるためにチェサピーク湾などより豊かな土地へ移動した可能性も指摘されています。
3. 病気や飢饉による死亡説
当時の樹木の年輪などの研究によると、1580年代後半のロアノーク周辺は深刻な干ばつに見舞われていたことが分かっています。疫病や飢餓によって入植者全員が命を落とした可能性も考えられます。
4. スペイン人探検家による攻撃説
当時、スペインはイギリスによる北米植民地化を強く警戒しており、スペインの探検隊や軍勢が植民地を襲撃した可能性も指摘されています。ただし、これを裏付ける公式の記録は発見されていません。
まとめ
ロアノークの入植者は先住民に殺されたのでしょうか?現時点では決定的な証拠がないため、断定することはできません。彼らが先住民と共存し、同化しながら生き延びた可能性もあれば、病気や飢饉、あるいは外部勢力との衝突で命を落とした可能性もあります。考古学的な調査は今も続けられていますが、「失われた植民地」の真実は、いまだ闇の中に眠っているのです。