ローザ・パークスとは?
ローザ・パークス(1913年〜2005年)は、アフリカ系アメリカ人の公民権運動家です。1955年、アラバマ州モンゴメリーの市営バスの中で白人男性に席を譲ることを拒否したことで、公民権運動の国際的な象徴となりました。この市民的不服従の行為は、1年以上にわたって続くモンゴメリー・バス・ボイコット(モンゴメリー市バス抵制運動)の発端となり、最終的に同市の公共バスにおける人種隔離の撤廃へとつながりました。
生い立ち
1913年2月4日、ローザ・パークスはアラバマ州タスキーギで、ローザ・ルイーズ・マコーリーとして誕生しました。父ジェームズ・マコーリーは大工、母リオナ・エドワーズ・マコーリーは教師でした。パークスは人種隔離政策のもとにある学校に通い、1933年に高校を卒業。その前年の1932年には、理髪師のレイモンド・パークスと結婚しています。
公民権運動への参加
パークスが公民権運動に関わり始めたのは1940年代前半のことです。1943年に全米有色人種地位向上協会(NAACP)モンゴメリー支部に加入し、1945年から1957年まで書記を務めました。そして1955年、市営バス内で白人男性に席を譲ることを拒否した結果、モンゴメリーの人種隔離法違反により逮捕され、有罪判決を受けます。
モンゴメリー・バス・ボイコット
1955年12月1日、パークスの逮捕への抗議としてモンゴメリー・バス・ボイコットが始まりました。この運動を率いたのは、当時モンゴメリーのデクスター・アベニュー・バプテスト教会の牧師に就任したばかりだった若き牧師、マーティン・ルーサー・キング・ジュニアです。ボイコットは381日間に及び、1956年12月20日、モンゴメリーの公共バスの人種隔離が撤廃されるという形で終結しました。
与えた影響と晩年
パークスの市民的不服従の行為は、公民権運動全体に計り知れない影響を与えました。多くのアフリカ系アメリカ人に自らの権利のために立ち上がる勇気を与え、人種隔離という問題を全米の意識の最前線へと押し上げたのです。パークス自身も生涯を通じて公民権のための活動を続け、大統領自由勲章や議会名誉黄金勲章など、数多くの賞と栄誉を受章しました。2005年10月24日、ミシガン州デトロイトにて92歳でこの世を去りました。
ローザ・パークスは何を達成しようとしていたのか?
ローザ・パークスが目指していたのは、アフリカ系アメリカ人の人種的平等の実現でした。彼女は、アフリカ系アメリカ人が白人アメリカ人とまったく同じ権利と機会を享受できるべきだと確信しており、その目標のためなら自身の自由を危険にさらすことも厭いませんでした。パークスの市民的不服従の行為は、公民権闘争の力強い象徴となり、平等のために戦う次世代の活動家たちに計り知れないインスピレーションを与え続けています。