歴史物語

1892年ホームステッド・ストライキとは?米国史上最大級の労使紛争が示したもの

ホームステッド・ストライキとは

1892年に発生した「ホームステッド・ストライキ」は、アメリカ史における重大な労使紛争の一つです。ペンシルベニア州ピッツバーグ近郊のホームステッドで起こり、当時世界最大規模だったホームステッド製鋼所を巡って、鉄鋼労働者組合(Amalgamated Association of Iron and Steel Workers、通称AA)と、実業家ヘンリー・フリックが主要オーナーを務めるカーネギー製鋼会社が激しく対立しました。

このストライキは141日間に及び、最終的には会社側の勝利、組合側の敗北に終わりました。この結果は、その後数十年にわたって鉄鋼業界における労働組合運動を著しく弱体化させることとなりました。

ストライキの発端:22%の賃金削減への抵抗

ホームステッドの組合加入労働者たちは、22%という大幅な賃金削減案を受け入れず、会社が非組合員の労働者で彼らを置き換えようとする動きにも強く抵抗しました。

これに対し会社側は、ピンカートン探偵社の私立探偵300人を雇い入れ、製鋼所の警備と、抵抗する労働者の強制排除に当たらせました。

ホームステッドの戦い:武装衝突の勃発

1892年7月6日の朝、ピンカートン探偵団は艀(はしけ)でホームステッド工場へ到着し、上陸を試みました。しかし、武装した組合員と町の人々が待ち構えており、発砲が始まりました。

この戦闘は「ホームステッドの戦い」として知られ、数時間にわたって続きました。その結果、ピンカートン探偵7人と組合員2人が死亡する悲劇となりました。

州兵の出動とストライキの結末

秩序を回復するため、ペンシルベニア州は州兵を出動させました。ストライキは1892年11月20日、組合側が賃金削減と非組合員雇用の権利を会社に認める形で終結しました。

このストライキは、19世紀後半における労使対立の象徴的な出来事となり、労働者の権利をめぐる闘いの歴史に深い刻印を残しました。