リーはアンティエタムで決定的な勝利を収めたのか?
結論から言えば、ロバート・E・リー将軍がアンティエタムの戦い(1862年9月17日)で決定的な勝利を収めたという事実はありません。この戦いは、歴史学において一般的に「引き分け」、すなわち戦術的には決着がつかなかった戦いと評価されています。
アメリカ史上最も血なまぐさい一日
アンティエタムの戦いは、アメリカ史において単一日の死傷者数として最多となる約23,000人に上る損害を出した激戦でした。リー率いる南軍(北バージニア軍)は、マクレラン将軍指揮下の数で勝る北軍(ポトマック軍)とメリーランド州シャープスバーグ近郊で衝突しました。
戦術的には引き分け、戦略的には北軍の優位へ
戦闘後も両軍は一昼夜にわたり戦場に対峙し続けたため、厳密には勝敗がつかず、戦術的には引き分けと見なされます。ただし、9月18日の夜にリー軍がポトマック川を渡ってバージニアへ撤退したため、戦略面では北軍の勝利、あるいは南軍によるメリーランド侵攻の失敗と評価されることが多いのです。
この結果を受け、リンカーン大統領は待ち望んでいた「奴隷解放予備宣言」を発表する機会を得ました。そのためアンティエタムは南北戦争の重要な転換点の一つとされていますが、それでも「リーの決定的な勝利」と呼ぶことはできません。