セルビア革命は、1817年にオスマン帝国がセルビアの自治権を承認したことによって終結しました。この革命は、1804年から1817年にかけて、スメデレヴォ州(ベオグラード周辺地域)のセルビア人たちがオスマン帝国の支配に立ち上がった一連の蜂起であり、近代バルカン半島における最初の成功的な民族解放運動として知られています。
セルビア革命とは何だったのか?
セルビア革命(1804〜1817年)は、数百年に及ぶオスマン帝国の統治に対してセルビア人が武装蜂起し、自治、ひいては独立を目指した歴史的な闘いです。革命は大きく二つの段階に分けられます。すなわち、第一次セルビア蜂起(1804〜1813年)と第二次セルビア蜂起(1815〜1817年)です。
第一次セルビア蜂起(1804〜1813年)
革命の第一段階となる第一次セルビア蜂起は、カラジョルジェ・ペトロヴィチ(「黒髪のジョルジェ」の意)の指揮のもと、1804年に始まりました。当初は暴虐なイェニチェリ(オスマン帝国の非正規軍)の横暴に対する反乱でしたが、やがてセルビア全土の自治の自治獲得を掲げる民族的闘争へと発展していきました。
蜂起軍は一時大きな成功を収め、広範な領域を掌握しました。しかし、ロシア情勢の変化やナポレオン戦争の影響など国際環境が不利に働き、1813年にはオスマン帝国軍の大規模な攻勢によって蜂起は鎮圧され、指導者たちは国外へ亡命せざるを得ませんでした。
第二次セルビア蜂起(1815〜1817年)
1815年、今度はミロシュ・オブレノヴィチの指揮のもとで第二次セルビア蜂起が勃発しました。前回の敗北の教訓を踏まえ、ミロシュは全面的な軍事衝突を避けながら、外交交渉を並行して進める慎重な戦略を選択しました。
この柔軟な対応が実を結び、1817年、オスマン帝国側はセルビアの自治権を事実上承認しました。ここにセルビア革命は終結し、ミロシュを世襲の公(クネズ)とするセルビア公国が成立します。その後、1830年のハッティ・シェリフ(勅令)によって自治権はさらに強化されました。
革命の後――完全独立への道のり
自治を獲得したセルビアは、その後も着実に主権を拡大していきました。そして1878年のベルリン会議において、セルビア公国はオスマン帝国からの完全な独立を国際的に承認されます。こうして、セルビア革命で燃え上がった独立への願いは、約70年の時を経てついに現実のものとなったのです。