なぜアフリカから奴隷が連れ去られたのか
16世紀から19世紀にかけて続いた「大西洋奴隷貿易」こそが、アフリカから数百万人もの人々が連れ去られた最大の要因です。この時代、ヨーロッパの奴隷商人たちはアフリカの人々を捕らえ、船でアメリカ大陸へと運びました。彼らはそこでプランテーション(農園)や鉱山など、過酷な労働力を必要とする産業で強制的に働かされることになったのです。
砂糖、綿花、タバコなどのプランテーション経済が新大陸で急速に拡大したことが、膨大な労働力需要を生み出し、悲劇的な三角貿易の構造を形成していきました。
奴隷はどこから連れ去られたのか
連れ去られた奴隷の大多数は西アフリカ出身であり、一部は東アフリカや中央アフリカからも供給されました。特に多くの奴隷が送り出された地域としては、以下が挙げられます。
- セネガル
- ガンビア
- 黄金海岸(現在のガーナ)
- ベニン湾岸(現在のベナンおよびナイジェリア)
- アンゴラ
これらの沿岸地域には「奴隷海岸」と呼ばれる拠点が設けられ、捕らえられた人々は劣悪な環境の収容所に閉じ込められ、船が出るのを待たされました。
誰がヨーロッパの奴隷商に売ったのか
アフリカから連れ去られた奴隷の多くは、首長や王といったアフリカ側の支配層によってヨーロッパの奴隷商に売られていました。これらの指導者たちは、他部族への襲撃(レイド)や戦争で捕虜を獲得したり、犯罪者への刑罰として人々を奴隷化したりしていました。
しかし、すべてがアフリカ側の関与によるものだったわけではありません。ヨーロッパの奴隷商人自身が誘拐や強制といった手段に訴えて人々を狩り立てることも決して珍しくなく、取引の実態は極めて暴力的なものでした。
どのようにして奴隷を手に入れ、なぜ連れ去ったのか
奴隷を捕らえる方法は地域によってさまざまでした。あるケースでは、奴隷商人たちが隠れて待ち伏せし、交易のため海岸へやって来た人々を騙して捕らえるという手口もありました。また、ヨーロッパの奴隷商人が内陸部へ遠征し、武力によって沿岸の村々を襲撃することもありました。
捕らえられた人々は、所有者の印として体に焼き印を押され、鎖につながれたまま長距離を行軍させられました。さらに、拷問を受ける犠牲者もおり、女性たちが性的暴力の被害に遭うこともあったのです。
こうして連れ去られた理由は、前述の通り新大陸における安価な労働力への飽くなき需要でした。経済的利益のために人間が商品として扱われたこの歴史は、数百年にわたりアフリカ社会に深刻な打撃を与え、その影響は現代にまで及んでいます。