「アパルトヘイト」という言葉を聞いたことはありますか?これは20世紀に南アフリカで実施されていた、人種隔離・差別政策のことです。本記事では、アパルトヘイトがどの地域で行われていたのか、その背景や仕組み、そして終焉までの歴史をわかりやすく解説します。
アパルトヘイトが行われていた地域
アパルトヘイトは、主に南アフリカ共和国で実施されていました。1948年に政権を握った国民党(ナショナル・パーティー)が、白人少数派による支配を維持するために、法制度として人種隔離を徹底したのです。
また、当時南アフリカの委任統治下にあった南西アフリカ(現在のナミビア)にも、同様の人種差別政策が適用されていた点も知られています。
アパルトヘイトとはどのような制度だったのか
「アパルトヘイト(Apartheid)」は、アフリカーンス語で「分離」「隔離」を意味する言葉です。この制度のもとでは、人々は肌の色によって「白人」「黒人」「カラード(混血)」「インド系アジア人」などに分類され、あらゆる場面で厳格に区別されました。
主な差別的な法律
- 人口登録法(1950年):全住民を人種ごとに登録・分類しました。
- 集団地域法(1950年):居住地域を人種によって強制的に分離し、黒人は限られた土地へ追いやられました。
- 通行証法:黒人が移動する際には通行証の携帯が義務付けられ、自由な移動が制限されました。
このほかにも、教育、医療、公共交通機関、公共施設など、生活のあらゆる場面で人種による分離が行われ、非白人は著しく不利な扱いを受けました。
アパルトヘイトの時期
アパルトヘイトは1948年から1990年代初頭まで、約40年以上にわたって続きました。国際社会からの経済制裁や批判が強まる中、国内でも抵抗運動が活発化します。ネルソン・マンデラ氏をはじめとする活動家たちの闘いが実を結び、1990年代に入ると規制の撤廃が進みました。
そして1994年、全人種が参加する初の民主的総選挙が実施され、マンデラ氏が初の黒人大統領に就任。ここにアパルトヘイトは正式に終わりを迎えたのです。
まとめ
アパルトヘイトは、南アフリカを中心に行われた制度的な人種隔離・差別政策であり、1948年の国民党政権の成立から1990年代初頭まで続きました。現在の南アフリカは「虹の国」と呼ばれ、多民族共生の道を歩んでいますが、この歴史から学ぶべき教訓は今なお大きな意味を持っています。