アフリカでの捕獲
大西洋奴隷貿易の始まりは、アフリカ大陸内における人々の捕獲でした。その主な手段として、以下の3つが挙げられます。
1. 武装襲撃
奴隷商人たちは、武装した集団でアフリカの村や共同体を頻繁に襲撃していました。彼らは男性、女性、子どもを問わず人々を捕らえ、囚人として連れ去ったのです。
2. 誘拐
また、街中や自宅から個人を誘拐する手口も用いられました。贈り物や仕事の提供などを餌にして、人々を罠へと誘い込む欺瞞的な方法が使われることもありました。
3. 戦争と紛争の利用
アフリカ内部の戦争や紛争も、奴隷商人たちにとって絶好の機会となりました。彼らは紛争で捕らえられた人々を買い取り、奴隷所有者に転売したり、海岸まで移送して売却したりしました。
海岸への移送
1. 奴隷の縦列(コッフル)
捕らえられた人々は、鎖につながれたまま長距離を徒歩で海岸まで移動させられました。この隊列は「奴隷の縦列(スレーブ・コッフル)」と呼ばれています。移動には数週間から数か月かかることもあり、極めて過酷で危険な旅でした。疲労、栄養失調、病気などにより、多くの人がこの道中で命を落としました。
2. 焼き印(ブランディング)
移送の途中、一部の奴隷商人は熱した鉄器で奴隷に焼き印を押すことがありました。これは所有権を示すため、あるいは逃亡した奴隷を特定するためのものでした。
中央航路(ミドル・パッセージ)
1. 奴隷船による大西洋横断
海岸に到着した人々は、過密で不衛生な奴隷船に詰め込まれ、大西洋を渡ることになりました。この航海は「中央航路(ミドル・パッセージ)」として知られ、数週間から数か月に及ぶこともありました。劣悪な船内環境のため、航海中に多くの命が失われたと伝えられています。
2. 競売(オークション)
奴隷船がアメリカ大陸に到着すると、人々は競売にかけられ、最高値をつけた入札者に売られていきました。ここで中央航路は終わりを迎え、アメリカ大陸での奴隷としての人生が始まることとなったのです。
ワシントンD.C.での競売
1. 主要な競売地「アレクサンドリア」
アレクサンドリアは、最も重要な奴隷競売の場の一つでした。ワシントンD.C.に近い立地であることが、その要因です。
2. 規制の抜け穴
興味深いことに、ワシントンD.C.では奴隷貿易そのものは禁止されていましたが、他の管轄区域から持ち込まれた奴隷の競売までは禁止されていませんでした。この法的な隙間により、競売は継続されることになったのです。
3. 屈辱的な「検査」
奴隷商人たちは競売の場で、奴隷を裸にして屈辱的な身体検査を受けていました。これは購入希望者に「商品」としての状態を見せるためのもので、人々の尊厳を根本から踏みにじる行為でした。