ブラジルの砂糖プランテーションが転機となった
ポルトガルがアフリカの奴隷貿易へ本格的に関与するようになった最大の要因は、16世紀にブラジルでサトウキビ・プランテーション(農園)が設立されたことです。ブラジルは気候と土壌がサトウキビの栽培に適しており、砂糖はヨーロッパで「白い金」と呼ばれるほど高値で取引される貴重な商品でした。
なぜアフリカ人奴隷だったのか
大規模なプランテーションを運営するには膨大な労働力が必要でした。当初は先住民が使役されましたが、持ち込まれた疫病や過酷な労働によって労働力が急速に失われたため、ポルトガル人は新たな労働力としてアフリカからの奴隷輸入に目を向けました。
こうして西アフリカやコンゴ、アンゴラなどから多くのアフリカ人が連れ去られ、大西洋を渡ってブラジルのプランテーションで強制的に働かされることになりました。この人的移動は後に「三角貿易」の中核をなし、数世紀にわたって続く悲劇的な歴史の始まりとなりました。
砂糖貿易の利益がさらなる拡張を支えた
砂糖貿易は莫大な利益をもたらしました。その富は単なる蓄財にとどまらず、アフリカ沿岸でのさらなる探検、商館や要塞の建設、植民地経営の資金として再投資されました。こうして「奴隷貿易→砂糖生産→利益→アフリカでの拡張」という循環が生まれ、ポルトガルのアフリカ関与はますます深まっていったのです。
結果として、ブラジルは世界最大級の砂糖生産地となり、同時に大西洋奴隷貿易全体の約4割を受け入れる最大の奴隷受け入れ地にもなりました。ポルトガルの経済的繁栄の陰には、この搾取の構造が大きく存在していたといえます。