古代インド史でよく疑問に挙がるのが、「マウリヤ朝の創始者チャンドラグプタ・マウリヤと、マケドニアのアレクサンダー大王は実際に戦ったのか」という点です。結論から言えば、両者が直接戦った記録はありません。ただし、単純に「生きた時代がまったく違う」というわけでもなく、二人の人生にはわずかな重なりがありました。
チャンドラグプタ・マウリヤとは
チャンドラグプタ・マウリヤ(紀元前340年頃~紀元前298年頃)は、古代インド最大級の帝国であるマウリヤ朝(紀元前322年頃~紀元前185年頃)の創始者です。彼はナンダ朝を倒して権力を握り、北インドの大部分を統一しました。さらに、アレクサンダーの死後に残されたマケドニア勢力が支配していた西北インドの領土も奪回し、後にはセレウコス朝とも戦って勝利を収めています。
アレクサンダー大王とは
アレクサンダー大王(紀元前356年~紀元前323年)は、ギリシャ北部の都市ペラに生まれたマケドニア王国の王であり、卓越した軍事指導者でした。彼は当時の「既知の世界」の大部分を征服し、その遠征は東方へと進んでインダス川流域(現在のパキスタンおよびインド北西部)にまで達しました。
なぜ二人は戦わなかったのか
アレクサンダーがインド遠征を行ったのは紀元前327年~前325年頃で、このときチャンドラグプタはまだ若者でした。古代の文献(プルタルコスなど)には、若き日のチャンドラグプタがアレクサンダーに会見したという伝承さえ残っていますが、確たる証拠はありません。
アレクサンダーは紀元前323年にバビロンで死去し、その直後からチャンドラグプタは本格的に勢力を拡大させてマウリヤ朝を建国しました。つまり、アレクサンダーがインドから撤退して世を去った後になって初めて、チャンドラグプタが歴史の表舞台に立ったのです。両者の間に約20年の時間差があるとされるのは、主にこの「覇権を握った時期」のずれを指しています。
まとめ
チャンドラグプタ・マウリヤとアレクサンダー大王は、生涯の一部が重なっていた可能性こそあれ、互いに軍を率いて戦うことはありませんでした。しかし間接的なつながりは深く、アレクサンダーの遠征後に生じた権力の空白こそが、チャンドラグプタによる大帝国建設の絶好の機会となったのです。