アフリカの歴史

クレオパトラはミイラにされなかった?古代エジプトの伝統が示す真実

クレオパトラは実際にはミイラにされていた

「クレオパトラはなぜミイラにされなかったのか?」という疑問をよく目にしますが、実はこれには誤解が含まれています。歴史的な記録や古代エジプトの慣習から判断すると、クレオパトラ7世はミイラとして埋葬されたと考えられており、そうでなかったことを示す確かな証拠は存在しないのです。

古代エジプトの王として当然の処置

クレオパトラはプトレマイオス朝エジプト最後の女王であり、ファラオとして統治していました。当時のエジプトでは、来世への復活を信じる宗教観に基づき、王族や高位の人物をミイラにするのが数千年にわたって続けられてきた伝統でした。

紀元前30年に亡くなったクレオパトラも、この神聖な伝統に従い、丁重な葬儀とミイラ化の処置を受けたとされています。ローマの将軍オクタウィアヌス(後のアウグストゥス帝)も、彼女の遺体を尊重し、希望通りに埋葬することを許したと伝えられています。

アントニウスとの合葬という記録

古代の歴史家であるプルタルコスやカッシウス・ディオの記述によれば、クレオパトラは愛したマルクス・アントニウスのそばに眠ることを望み、その願いは叶えられたといわれています。これは彼女が正式な埋葬、つまりミイラとしての安置を受けたことを裏付ける重要な証言です。

なぜ「ミイラではない」という説が生まれたのか

こうした誤解が広まった背景には、クレオパトラの墓が今なお発見されていないという事実があります。墓が見つかっていないため、彼女の遺体の状態を直接確認できず、さまざまな憶測が生まれました。

しかし、「墓が未発見だからミイラではない」という論理は成り立ちません。むしろ、古代エジプトの女王として、伝統的な方法でミイラにされ、アントニウスとともに葬られた可能性が最も高いと、多くの歴史学者は考えています。

まとめ

クレオパトラは古代エジプトの伝統に従い、ミイラとして埋葬されたと考えられます。「ミイラにされなかった」という説を裏付ける証拠は一切なく、彼女の墓の発見が待たれる今日でも、この見方が歴史学の主流となっています。