アジアの歴史

第二次世界大戦中に原子爆弾はどのように開発されたのか?

初期の研究と科学的発見

1938年:核分裂の発見

ドイツの科学者オットー・ハーンとフリッツ・シュトラスマンは、ウランを用いた実験を行い、核分裂現象を発見しました。この発見こそが、後の原子爆弾開発の科学的基礎となるものです。

1939年:理論の解明と大統領への警告

オーストリア出身の物理学者リーゼ・マイトナーとデンマーク出身の物理学者オットー・フリッシュは、核分裂の仕組みを説明する論文を発表しました。

同じ頃、アルベルト・アインシュタインは、当時のアメリカ大統領フランクリン・D・ルーズベルト宛てに書簡を送り、核兵器がもたらしうる危険性について警告しました。

マンハッタン計画の始動

1942年、アメリカ合衆国は原子兵器の研究開発を目指す極秘プロジェクト「マンハッタン計画」を立ち上げました。計画はレスリー・グローヴス少将が指揮を執り、当時最高峰の科学者たちが数多く参画したことで知られています。

核物質の確保:ウランとプルトニウム

科学者たちは、原子爆弾の材料となりうる二つの元素——ウランとプルトニウム——に着目し、それぞれの濃縮技術と生産方法の開発に取り組みました。

研究拠点の選定

原子爆弾の主要な研究開発拠点としては、ニューメキシコ州ロスアラモスが選ばれました。この地で、人類初の核兵器が設計・組み立てられることになります。

研究チームの編成

計画には、J・ロバート・オッペンハイマー、エンリコ・フェルミ、エドワード・テラーといった著名な物理学者たちが率いる複数の研究チームが参加しました。

二種類の原子爆弾の設計

開発された原子爆弾には二つのタイプがありました。ひとつはウラン型爆弾(通称「リトルボーイ」)、もうひとつはプルトニウム型爆弾(通称「ファットマン」)です。

製造と最初の核実験

テネシー州のオークリッジ研究所ではウランの濃縮が、ワシントン州のハンフォード核施設ではプルトニウムの生産が進められました。

そして1945年7月16日、ニューメキシコ州で実施された「トリニティ実験」において、人類史上初となる核爆発が成功裏に達成されました。

広島・長崎への原爆投下

1945年8月6日:広島

B-29爆撃機「エノラ・ゲイ」が、ウラン型原子爆弾「リトルボーイ」を日本の広島市に投下しました。

1945年8月9日:長崎

同じくB-29爆撃機「ボックスカー」が、プルトニウム型原子爆弾「ファットマン」を日本の長崎市に投下しました。

第二次世界大戦の終結

原子爆弾の投下は日本の降伏を促し、1945年9月2日の第二次世界大戦終結へとつながりました。

惨禍とその後の影響

爆発は壊滅的な破壊をもたらし、強烈な放射線による被害や、被爆者への長期的な健康影響など、深刻な結果を地域社会に残しました。

核軍拡競争の始まり

原子爆弾の使用は核軍拡競争の幕開けともなり、世界中に核戦争への不安と恐怖という新たな緊張をもたらすことになりました。