アジアの歴史

第二次世界大戦終結間近、米ソ対立を招いた主な原因は何だったのか?

東欧問題――米ソ緊張の発端

第二次世界大戦の終結が迫る1945年2月、連合国はヤルタ会談において、戦後の東欧諸国で自由かつ公正な選挙を実施することで合意しました。しかし、ソ連はこの合意をほぼ無視する形で、占領下に置いたポーランド、ハンガリー、チェコスロバキア、ルーマニア、ブルガリアといった各国に、次々と共産主義政権を樹立していきました。

こうした一方的な動きに対し、アメリカとイギリスは強く抗議します。しかしソ連は態度を軟化させることなく、東欧を自国の安全保障圏として確保しようとしました。その結果、ヤルタで交わされた「自由な選挙」という約束は形骸化し、東欧は事実上ソ連の勢力圏へと組み込まれていきます。

この東欧をめぐる対立こそが、戦勝国同士の協調関係を崩壊させ、やがてチャーチルによる「鉄のカーテン」演説(1946年)やトルーマン・ドクトリン(1947年)へとつながる、米ソ両超大国間の緊張、すなわち冷戦の主要な火種となったのです。