アジアの歴史

ツタンカーメンはメソポタミアの王だったのか?その真実を解説

「ツタンカーメンはメソポタミアのいつ、どの地域を統治した王なのか?」という疑問を持つ方は少なくありませんが、結論から言えば、ツタンカーメンがメソポタミアの王であった事実は一切なく、同地域との関連性を示す史料も発見されていません。

ツタンカーメンは古代エジプトのファラオ

ツタンカーメンは、古代エジプト新王国時代・第18王朝に君臨したファラオ(王)です。紀元前14世紀頃、およそ紀元前1332年から前1323年にかけてエジプトを統治したと考えられています。幼くして即位し、わずか10年足らずの治世の後に亡くなった若き王として知られています。

なぜメソポタミアとの混同が起きるのか?

古代エジプト文明とメソポタミア文明は、ともに「四大文明」として並び称される大河の文明であり、地理的にも中東地域で近接していたため、両者が混同されることがあります。しかし、この二つの文明はそれぞれ独自の王朝、文化、言語を持つ別個の歴史的存在でした。

  • 古代エジプト文明: ナイル川流域に栄え、ファラオを中心とした王朝が続いた。
  • メソポタミア文明: ティグリス川・ユーフラテス川流域(現在のイラク周辺)に栄え、シュメール、バビロニア、アッシリアなどの都市国家や王国が興亡した。

ツタンカーメンの知名度の高さ

ツタンカーメン自身は歴史的には短命の王でしたが、1922年にイギリスの考古学者ハワード・カーターによってほぼ無傷の王墓がルクソールの王家の谷で発見されたことで、世界的に有名になりました。黄金のマスクをはじめとする副葬品の数々は、古代エジプト文明の華やかさを今に伝える貴重な遺産となっています。

つまり、ツタンカーメンはあくまで古代エジプトのファラオであり、メソポタミアを統治した王ではなかったという点を押さえておきましょう。