1532年、フランシスコ・ピサロ率いるスペイン人征服者たちは、インカ帝国の皇帝アタワルパと対面しました。歴史上、アタワルパは宣教師から差し出された聖典を投げ捨てたと伝えられており、この出来事は征服の口実の一つとなりました。しかし、もし彼がその場でキリスト教を受け入れると答えていたら、世界史はどのように動いていたのでしょうか。いくつかの可能性を考察してみます。
1. スペインによるインカ帝国征服は遅延、あるいは回避された可能性がある
アタワルパの自発的な改宗は、スペインにとって大きな宣伝上の勝利となったはずです。同時にそれは、「異教徒を救済する」という宗教的名分による侵略を正当化する根拠を奪うことでもありました。王権神授的な正統性を欠いた征服は本国での支持を得にくく、その結果、スペイン側はアタワルパとの和平条約の締結を余儀なくされるか、最悪の場合ペルーから完全に撤退せざるを得なかったかもしれません。
2. アタワルパはスペインからの独立を維持できたかもしれない
仮にアタワルパがキリスト教に改宗していたなら、新たな宗教的権威を盾に、インカの人々をスペインへの抵抗へと結集できた可能性があります。「スペイン人は真のキリスト教徒ではなく、金銀の略奪と民衆の搾取だけが目的だ」と訴えれば、征服者の行動と教義の矛盾を突く強力なプロパガンダになったはずです。内乱で疲弊していたとはいえ、皇帝の名のもとに帝国を再統一し、スペイン軍を撃退できたシナリオも十分に考えられます。
3. キリスト教はインカ帝国全土に広まった可能性がある
皇帝自身が改宗すれば、新しい宗教は上から下へと急速に浸透したでしょう。インカ社会では皇帝の権威が絶対的であり、その信仰の変更は国民全体の信仰変更を意味しかねません。その結果、キリスト教はヨーロッパ人の手ではなく、インカ独自の形で帝国全土に広まり、南米に先駆的なキリスト教王国が誕生していたかもしれません。
4. 南米の歴史はまったく異なるものになっていた
征服が遅延または回避されれば、南米大陸の歴史は劇的に変化したはずです。インカ帝国は存続し、独自の文化と技術を保ちながら地域の大国として発展を続けた可能性があります。一方で、皮肉なことに、改宗したインカと同盟関係を築いたスペインが、より安定した恒久的な拠点をペルーに確立し、結果として南米がより早期にカトリック圏へと組み込まれるという展開もあり得ました。
いずれの道を選んでも、アタワルパの一つの決断が大陸全体の運命を左右しえたことは間違いありません。この「if」の歴史は、個人の選択が世界史に及ぼす影響の大きさを物語っています。