アジアの歴史

シャー・ジャハーンはタージ・マハル建設の労働者たちに何をした?「腕切断」伝説と実際の報酬

タージ・マハル建設者の腕切断伝説は真実なのか

ムガル帝国皇帝シャー・ジャハーンが、タージ・マハルの建設に携わった職人や労働者たちの腕(または手)を切り落とした——この壮大で残酷な逸話は、世界各地で広く語り継がれています。しかし結論から言えば、これは歴史的事実ではありません。この主張を裏付ける信頼できる歴史的証拠は、一切存在しないのです。

当時の記録が語る真実

タージ・マハルは1632年頃から1653年頃にかけて、早世した妃ムムターズ・マハルを偲んで建造されました。建設には約2万人もの労働者が従事したとされ、石工、大工、彫刻家、書家、宝石細工師など多様な職種の人々が、インド各地のみならず中央アジアやペルシャからも集められました。

注目すべきは、ムガル帝国には詳細な会計記録や宮廷文書が現存している点です。これらの記録によれば、労働者たちは定期的に賃金を受け取っていたことが確認できます。熟練職人には高額な報酬が支払われ、一般労働者にも日当が渡されていました。さらに建設現場の近くには労働者向けの居住区が設けられ、彼らの生活を支える市場なども整備されていました。つまり、労働者たちは厳しく扱われるどころか、正当な報酬と生活基盤を与えられていたのです。

なぜ残酷な伝説が生まれたのか

腕切断の逸話の正確な出所は不明ですが、いくつかの可能性が指摘されています。第一に、後世の民間伝承や口承文学の中で物語が誇張されていったこと。第二に、19世紀以降のヨーロッパ人旅行家たちが、異国情緒あふれるドラマチックな逸話として面白おかしく記述した可能性です。

「世界で最も美しい墓を作らせ、二度と同じものを作れないようにするため」という動機付けは、悲劇的でロマンチックなタージ・マハルのイメージと相性が抜群でした。そのため観光案内や俗説として繰り返し語られ、あたかも史実であるかのように広まってしまったと考えられます。

歴史学者の見解

現代の歴史学者たちも一様に、この逸話を事実とは認めていません。同時代のペルシャ語史料、建設に関する公式文書、ヨーロッパ人旅行者の記録のいずれにも、腕切断に関する記述は皆無だからです。むしろ記録には賃金支払いの詳細や職人たちの氏名まで残されており、彼らが適切に評価されていたことを示唆しています。

まとめ

シャー・ジャハーンが建設労働者の腕を切り落としたという話は、印象的であるものの、完全に根拠のない伝説です。実際には労働者たちへ賃金が支払われ、その多くは公式記録に名を留めています。ドラマチックな逸話こそ、一次資料による検証が必要だという歴史学の好例と言えるでしょう。