アジアの歴史

真珠湾攻撃当日、なぜ米軍は無防備だったのか?――日本の奇襲成功を左右した「備えの欠如」

平時のままだった米軍の艦船と航空機

1941年12月7日(ハワイ現地時間)の真珠湾攻撃当時、アメリカの艦船や航空機は攻撃に備えた態勢にはありませんでした。艦艇の主砲や対空砲には弾薬が装填されておらず、砲位に当直の兵員すら配置されていなかったのです。

さらに、地上に駐機されていた航空機も武装が施されておらず、緊急時に即座に発進できる状態ではありませんでした。日曜日の朝ということもあり、基地全体が文字どおり「平時」の運用に近い状況に置かれていました。

無防備状態が日本の奇襲成功にもたらした影響

このような備えの欠如は、日本軍の奇襲作戦の成功を決定的なものにしました。日本側の攻撃部隊は完全な奇襲を達成し、停泊中の艦船や整然と並ぶ航空機に対して、ほとんど有効な反撃を受けることなく第一波・第二波の攻撃を展開できたのです。

もし艦砲が即時に応射でき、戦闘機が速やかに離陸していれば、被害は相当程度軽減できた可能性があります。しかし現実には、攻撃開始から防御態勢が整うまでの時間差があまりにも大きく、日本軍は狙い通りの戦果を上げることになりました。

甚大な被害とその意味

その結果、戦艦を中心とする多数の艦船が沈没ないし大破し、地上の航空機も多くが破壊されました。人的被害も深刻で、将兵を中心に2,400名を超える犠牲者が出ています。

真珠湾攻撃は、「いつ攻撃を受けてもおかしくない状況でも、備えを怠れば壊滅的な打撃を被る」という歴史上の教訓として今も語り継がれています。情報面での見落としや警戒態勢の甘さなど複数の要因がありましたが、艦船・航空機が即応状態になかったことが被害を決定的に拡大させた点は、この悲劇を理解する上で最も重要なポイントだといえるでしょう。