北米の歴史

アメリカ史上最も人気のない大統領――第15代 ジェームズ・ブキャナン

ランキング好きという点では、日本人とアメリカ人はよく似ています。「何にでも順位をつけたい」という欲求は国民性なのでしょう。なかでも歴代大統領の人気ランキングは、アメリカ社会で繰り返し話題になる定番テーマです。

不動の最下位、ジェームズ・ブキャナン

1位の座をめぐっては毎回激しい争いが繰り広げられます。フランクリン・ルーズベルト、セオドア・ルーズベルト、リンカーン、ケネディ、ジョージ・ワシントン……票が割れるのは常にこのあたりの顔ぶれです。

ところが最下位だけは違います。ほぼ毎回、動かないのです。そこに君臨し続けるのが、第15代大統領ジェームズ・ブキャナンです。

凡庸な大統領としての経歴

アメリカ史上最も人気のない大統領――第15代 ジェームズ・ブキャナン

ブキャナンの人生は、アメリカ史上最も激動の時期と重なっていました。工業化が進む北部と、綿花栽培を基幹とする南部との亀裂は決定的なものとなり、保護貿易か自由貿易か、奴隷制を禁止するか容認するか——合衆国は文字どおり二つに分裂しかけていました。

そしてブキャナンには、この激流を制御する能力がなかったのです。

ジェームズ・ブキャナンは、ペンシルベニア州出身の唯一の大統領です。両親はスコットランドおよびアイルランドからの移民でした。生まれた家は裕福でしたが、きょうだいの多くは若くして亡くなっています。

無事に成長したブキャナンはペンシルベニア州のディッキンソン大学に進学し、優秀な成績で卒業すると弁護士になりました。当時の支持政党は連邦党で、1812年戦争にも従軍経験があります。

その後は政界で頭角を現し、ペンシルベニア州選出の下院議員に当選。アンドリュー・ジャクソン政権では駐ロシア公使を、ジェームズ・ポーク政権では国務長官を務めました。

この時期、結婚の予定もありました。しかし婚約者が突然この世を去り、ブキャナンは生涯独身を貫くことを決めます。結果として、彼はアメリカ史上ただ一人の「独身大統領」となりました。

ポーク政権退任後は駐イギリス公使を務め、1856年に第15代大統領に就任します。

すべての苦難が重なった4年間

個人の能力だけを見れば、ブキャナンは決して無能な人物ではありません。むしろかなり優秀な部類に入るでしょう。

しかし、これはよくある話です。ルイ16世が個人としてはそれほど無能ではなくても、歴史上最も無能と評されるフランス王になったように、ブキャナンもまた、時代の重圧によって「歴代最悪の大統領」の座へ押し込められました。最大の要因は、アメリカ史上最悪の戦争となった南北戦争を防げなかったことにあります。

不況の発端は、クリミア戦争でした。ロシアとオスマン帝国の戦争にイギリスとフランスが介入したことで欧州市場の小麦価格は暴騰し、やがて世界的な不況へと発展します。世界史では「1857年恐慌」として知られる局面です。アメリカもこの打撃をもろに受け、ブキャナンには結局、有効な手を打つことができませんでした。

とはいえ、この点についてはブキャナン個人だけが悪いわけではありません。鉄道への過剰投資、ゴールドラッシュの終焉、金融会社の連鎖倒産——高度成長のひずみが一気に噴出した時期だったのです。それでも、「何もできなかった大統領」という事実は覆りません。

就任直後には、奴隷に市民権を認めないとする最高裁判所の「ドレッド・スコット判決」を支持し、奴隷制をめぐる対立はさらに深刻化。カンザス準州での流血衝突(「血を流すカンザス」)にも有効な対応を取れませんでした。

そしてもう一つの致命傷が、南北対立を食い止められなかったことです。

ブキャナン自身は民主党の大統領で、同党は当時、南部寄りの色合いが強い政党でした。しかし彼自身の奴隷制に対する姿勢は終始曖昧で、賛否を明確に示さないまま時間だけが過ぎていきます。1860年、南部諸州は合衆国からの脱退に踏み切り、新たに「アメリカ連合国」を樹立しました。脱退の動きが始まっても、ブキャナンは「脱退は違法だが、武力で阻止する権限はない」という中途半端な立場を崩さず、退任までの数ヶ月をほぼ傍観者のまま過ごしています。

ブキャナンは常に北と南の間に立ち、妥協点を探し続けました。しかし結局、何も見つけられないまま、事態は最悪の形——内戦へと突入していきます。

世界史的には第二次世界大戦が最大の戦争ですが、アメリカ人の犠牲という点では南北戦争が上回ります。約62万人(近年の研究では75万人以上とも)が命を落とし、当時の人口比で見れば、第二次世界大戦の数倍に達する損失でした。

もちろん、南北戦争の原因をブキャナンひとりに帰することはできません。しかしアメリカ人がその原因を問うとき、真っ先に名前が挙がるのはブキャナンなのです。

激動を鎮める力がなかった——どんな角度から評価しても、この評価は揺るがないでしょう。