北米の歴史

南北戦争における「中立」境界州は存在したのか?4つの境界州の実像を解説

南北戦争(1861年〜1865年)において、厳密な意味で最後まで「中立」を保ち続けた境界州は存在しませんでした。当時「境界州(ボーダー・ステーツ)」と呼ばれたのは、奴隷制を認めながらも南部連合(アメリカ連合国)へ脱退せず、北部(合衆国)側に留まったデラウェア州、メリーランド州、ケンタッキー州、ミズーリ州の4州です。


境界州とはどのような州だったのか

境界州は、自由州と奴隷州の境界線上に位置し、南北双方と経済的・文化的なつながりを持っていました。そのため、どちらの陣営に付くかが戦争全体の行方を左右する、極めて重要な存在でした。結果的にこれらの州はすべて合衆国(北軍側)に残りましたが、州内では南北両派への支持が分かれ、激しい政治対立やゲリラ戦も発生しました。


各州の動向

ケンタッキー州

ケンタッキー州は開戦直後に公式に「武装中立」を宣言した唯一の州です。しかし1861年9月、南軍が州内に侵入したことを機に中立は崩れ、北軍側に付くことになりました。リンカーン大統領の出身地でもある同州は、以後南北両軍が争う主要な戦場となりました。

ミズーリ州

ミズーリ州では親南派の勢力が独自に南部連合への加盟を宣言するなど州が分裂状態に陥り、州内では本格的な内戦ともいえる激しい戦闘が繰り広げられました。

メリーランド州

メリーランド州は首都ワシントンD.C.を取り囲む戦略的要衝でした。脱退派の勢力も強かったため、連邦政府は戒厳令を敷くなどの強硬策によって、同州の合衆国残留を確保しました。

デラウェア州

デラウェア州は奴隷州でありながら、当初から合衆国への忠誠を明確に示し、大きな混乱もなく北軍側に留まりました。


まとめ

このように、「中立の境界州」という状態はあくまで一時的なものにすぎず、最終的にすべての境界州は南北いずれかの陣営、具体的には合衆国(北軍)側に組み込まれていきました。境界州の帰趨こそが、南北戦争の勝敗を大きく左右したといえるでしょう。