1930年代の大恐慌期、アメリカ中西部のグレートプレーンズ(大平原)から数十万人もの人々が故郷を離れました。その最大の原因となったのが、「ダストボウル(Dust Bowl)」と呼ばれる壊滅的な砂塵嵐の被害です。
ダストボウルはどのように起こったのか?
ダストボウルの背景には、数年にわたる深刻な干ばつと過度な農業開発という二つの要因が絡み合っていました。
それまで草原だった土地が小麦栽培などのために大規模に開墾された結果、土壌を固定していた草の根が失われました。そこへ旱魃が襲い、表土はカラカラに乾燥して粉々に。強風が吹くたびに、この乾いた表土は簡単に巻き上げられ、空を覆い尽くすほどの巨大な砂塵嵐(ダストストーム)が発生するようになったのです。
人々の生活と農場を破壊した砂塵嵐
1935年4月14日の「黒い日曜日(Black Sunday)」には、特に激しい砂嵐が発生し、視界は真っ暗になり、多くの人々が命の危険にさらされました。
こうした砂塵嵐は、単なる自然現象にとどまらず、次のような深刻な被害をもたらしました。
- 作物が全滅し、農家の収入源が断たれた
- 家屋や機械に土砂が積もり、住環境が破壊された
- 細かい粉塵を吸い込むことで「ダスト肺炎」と呼ばれる呼吸器疾患が蔓延した
50万人以上が故郷を後に
生計の立て直しが不可能になった農民たちの多くは、土地を手放して西へ向かいました。推計によると、この時期に被災地域を離れた人は50万人以上にのぼります。特にオクラホマ州などからカリフォルニア州へ移住した人々は「オーキー(Ookies)」と呼ばれ、過酷な移住生活を余儀なくされました。
この悲劇は、ジョン・スタインベックの小説『怒りの葡萄』でも描かれ、アメリカ史上最も記憶に残る環境災害の一つとして語り継がれています。