北米の歴史

アメリカの西の国境をミシシッピ川と定めたのは独立戦争ではなく、1783年のパリ条約

アメリカ合衆国の西の国境がミシシッピ川であるという考え方を確立したのは、独立戦争(アメリカ独立革命)そのものではなく、1783年に調印されたパリ条約です。

パリ条約とは何か

1783年9月3日、イギリスとアメリカ合衆国の間で結ばれたパリ条約により、8年に及ぶアメリカ独立戦争は正式に終結しました。この条約の第2条では、新しく生まれた国家の領土範囲が明確に定められました。

具体的には、次のような国境線が引かれました。
・北:五大湖およびカナダとの境界線
・西:ミシシッピ川
・南:スペイン領フロリダとの境界線
・東:大西洋

この取り決めの歴史的意義

この条約によって、元の13植民地の領土は実質的にほぼ倍増しました。それまでイギリスが1763年の宣言などで西進を制限していたのに対し、パリ条約はアメリカ人にミシシッピ川以西への移住と開発の道を公式に開いたのです。

当時の多くの人々にとって、ミシシッピ川は「新しい国家の永遠の西の果て」であるかのように受け止められていました。

しかし、その考え方は長くは続かなかった

ところが、この認識は意外に早く古いものとなりました。1803年のルイジアナ買収により、アメリカはミシシッピ川の西側に広大なフランス領を獲得し、国境は一気にロッキー山脈付近まで押し上げられました。

その後もテキサス併合、オレゴン条約、メキシコ割譲などを経て、アメリカの領土は太平洋岸にまで達します。「西の国境=ミシシッピ川」という考えは、建国初期の一時期だけのものであったといえるでしょう。

まとめ

ミシシッピ川をアメリカの西の国境と定めたのは、独立戦争の勝利そのものではなく、戦争の結果を法的に確定させた1783年のパリ条約でした。そしてその国境線も、20年足らずでルイジアナ買収によって塗り替えられることになります。