北米の歴史

南北戦争開戦時における北軍と南軍の2つの主要な軍事戦略とは?

はじめに

1861年に始まった南北戦争では、北軍(連邦側)と南軍(アメリカ連合国側)がそれぞれ異なる軍事戦略を採用しました。開戦時点での両陣営の基本方針を理解することは、その後の戦争の展開を把握するうえで重要です。

北軍(連邦)の戦略

南北戦争開戦時、北軍の主要な軍事戦略は、南部の港や水路を封鎖し、アメリカ連合国が主力輸出品である綿花を輸出したり、必要不可欠な物資を輸入したりすることを防ぐことでした。この海上封鎖により、北軍は南軍の最大の収入源を断ち切り、南部経済を弱体化させようとしました。この作戦は、巨大な蛇が獲物を締め上げる様子になぞらえて「アナコンダ計画」とも呼ばれています。

さらに北軍は、ミシシッピ川の支配権を握ることも目標としていました。ミシシッピ川を制圧すれば、アメリカ連合国を東西に分断でき、南部の補給線や連絡網を効果的に遮断することが可能になるためです。

南軍(アメリカ連合国)の戦略

北軍の封鎖に対抗して、南軍が採ったのは自国領土の防衛に重点を置き、ゲリラ戦術によって北軍を消耗させるという戦略でした。南軍は兵力でも工業力でも劣っていたため、決定的な大規模会戦を避け、ヒット・アンド・ラン(一撃離脱)や待ち伏せ攻撃を活用することで、北軍の物的資源と士気を少しずつ削ぎ落とすことを狙いました。

また、南軍は「キング・コットン」と呼ばれる綿花外交を通じて、イギリスやフランスなどの欧州列強からの承認と支援を取り付けることにも期待を寄せていました。時間を稼ぎながら外国の介入を引き出せば、劣勢を覆せる可能性があると考えたのです。

まとめ

開戦時の北軍は「封鎖とミシシッピ川制圧による分断」という攻撃的な包囲戦略を、南軍は「領土防衛と消耗戦・ゲリラ戦術」という守勢の持久戦略を採用しました。この対照的な戦略の違いが、その後4年間に及ぶ南北戦争の性格を大きく左右することになりました。