憲法批准をめぐる対立の背景
アメリカ合衆国憲法は1787年に起草されましたが、すべての州がすぐに受け入れたわけではありません。当初、複数の州が批准に対して強い慎重姿勢を示していました。その背景には、以下のような共通の懸念がありました。
- 州が持つ個別の主権が連邦政府に奪われることへの恐れ
- 新設される連邦政府の権限が強大になりすぎることへの不安
- 市民の自由を保障する「権利章典(Bill of Rights)」が盛り込まれていない点への批判
州ごとの批准の経緯
デラウェア州・ペンシルベニア州・ニュージャージー州
この3州は最初期に憲法を批准した州です。デラウェア州は1787年12月、全米でいち早く批准しました。ペンシルベニア州とニュージャージー州も同じ年のうちに批准しましたが、両州内部には憲法への疑問が残っており、将来的な修正(権利章典の追加)が約束されたことを受けて、批准に踏み切ったという経緯があります。
マサチューセッツ州
マサチューセッツ州は連邦の中核をなす重要な州の一つであり、同州の動向は憲法の命運を左右すると見なされていました。しかし州内の世論は賛否真っ二つに割れ、数か月にわたる激しい論議と妥協の末、1788年2月にようやく批准しました。ここでの妥協の形(権利章典の追加を前提とする附帯決議)は、その後の他州の批准にも大きな影響を与えました。
ニューヨーク州
ニューヨーク州も地理的・経済的に不可欠なキーステートであり、同州が不参加のままでは憲法は機能しないと考えられていました。州内では反連邦派が強い勢力を持っていたため、アレクサンダー・ハミルトンら連邦派は論文や討論を通じて粘り強く賛意を訴え、数か月に及ぶ攻防の末、1788年7月に批准を実現させました。
バージニア州
ジョージ・ワシントン、トーマス・ジェファーソン、ジェームズ・マディソンなど、多くの建国の父たちを輩出したバージニア州の批准もまた、憲法発効にとって極めて重要でした。パトリック・ヘンリーを筆頭とする反対派との厳しい論戦が繰り広げられましたが、ワシントンの威信と権利章典追加の約束が決め手となり、1788年6月に批准へと至りました。
ロードアイランド州
ロードアイランド州は、13州の中で最後まで批准を拒み続けた州です。州の独立性を重んじる風潮が強く、権利章典の欠如などの問題を深刻に捉えていました。同州が憲法に署名したのは、権利章典が提案・採択の方向に向かった後の1790年5月のことでした。
まとめ
憲法批准の過程は複雑で困難を極めるものでしたが、最終的には13州すべてが批准し、今日知られるアメリカ合衆国が誕生しました。各州の懸念に応える形で権利章典(憲法修正第1条から第10条)が追加されたことは、対立と妥協の産物であるこの国家の成り立ちを象徴する出来事といえるでしょう。