北米の歴史

アメリカ南北戦争の引き金となった直接的な紛争とは?サムター要塞攻撃を解説

アメリカ南北戦争(1861年〜1865年)の発火点となった直接的な紛争は、1861年4月12日に南軍がサウスカロライナ州のサムター要塞を攻撃した事件です。この攻撃によって、それまで緊張関係にあった北部(北軍・連邦政府)と南部(南軍・アメリカ連合国)の対立は、ついに武力衝突へと発展しました。

サムター要塞攻撃までの経緯

南北戦争の背景には、奴隷制をめぐる北部と南部の深刻な意見の対立がありました。まず1860年12月、サウスカロライナ州が連邦(ユニオン)から脱退したことを皮切りに、南部諸州の連邦離脱が相次ぎます。そして1861年2月には、脱退した諸州によって「アメリカ連合国」が結成されました。

これに対し、新たに就任したエイブラハム・リンカーン大統領は、アメリカ連合国の正統性を一切認めず、あくまで南部諸州は連邦の一部であるという立場を貫きました。そのため、チャールストン港に位置するサムター要塞に駐留する連邦軍への補給・増援を命じたのです。

開戦の瞬間

リンカーン政権の動きを受け、南軍側はサムター要塞に対して撤退を要求しましたが、連邦軍側がこれを拒否したことで、1861年4月12日早朝、南軍による要塞砲撃が開始されました。約34時間にわたる砲撃の末、弾薬や物資が尽きた北軍守備隊は降伏し、南軍が要塞を占拠しました。

幸いにもこの戦闘での死者はほとんど出ませんでしたが、この攻撃は南北戦争の正式な幕開けとなりました。リンカーン大統領は直ちに7万5千人の志願兵の召集を宣言し、両陣営ともに本格的な戦争態勢へと移行していったのです。

まとめ

南北戦争の直接の引き金となったのは、南軍によるサムター要塞攻撃(1861年4月12日)でした。しかし、その根底には奴隷制や州の権利をめぐる長年の南北間の対立があり、要塞攻撃はまさにその対立が爆発した瞬間だったと言えるでしょう。