1850年の妥協はミズーリ妥協を復活させたのか?
結論から言えば、1850年の妥協(1850年協定)はミズーリ妥協を復活させたものではありません。両者はそれぞれ異なる時代に、異なる領土をめぐる奴隷制問題に対応するために成立した、まったく別個の歴史的枠組みです。
1850年の妥協が生まれた背景
1850年の妥協は、米墨戦争(1846年〜1848年)でアメリカが獲得した新領土——カリフォルニアやニューメキシコなど——への奴隷制拡大をめぐる危機に対処するために策定されました。この妥協には、カリフォルニアの自由州としての連邦加盟、ニューメキシコ・ユタ準州における住民自決制(ポピュラー・ソブリンティ)、逃亡奴隷法の強化など、複数の法案がパッケージとして含まれていました。
ミズーリ妥協(1820年)とは何か
一方、1820年のミズーリ妥協は、ルイジアナ買収(1803年)で獲得した広大な領土における奴隷制問題を解決することを目的としたものでした。この妥協では、ミズーリを奴隷州として認める代わりに、以後の準州については北緯36度30分以北での奴隷制を禁止することが定められました。
両者の根本的な違い
つまり、1850年の妥協は米墨戦争による新領土が対象であるのに対し、ミズーリ妥協はルイジアナ買収による旧領土が対象です。扱う地理的範囲も、成立の時代背景も、採用された手法(北緯線による区分か、住民投票による判断か)も大きく異なります。1850年の妥協はむしろ、ミズーリ妥協の限界が露呈した後に新たな対立を抑えるために打ち出された、全く新しい妥協の枠組みだったと言えるでしょう。