北米の歴史

植民地時代のデラウェアで人々はどんな音楽を楽しんでいたのか?

植民地時代のデラウェアと音楽の関係

「植民地時代のデラウェア」という表現には、少し歴史的な注意が必要です。現在のデラウェア州にあたる地域は、17世紀の初期段階では独立した「デラウェア植民地」として存在しておらず、オランダ人が建設した植民地「ニューネーデルラント」の一部でした。その後、スウェーデン系入植者による「ニュー・スウェーデン」の時代を経て、再びオランダの支配下に入り、最終的にはイギリスの統治へと移り変わっていきます。

初期に親しまれたヨーロッパの民俗音楽

ニューネーデルラント時代のこの地域で聴かれていたのは、主にヨーロッパからもたらされた民俗音楽でした。オランダ語、英語、フランス語の歌や舞曲が、入植者たちの日常生活の中で歌われ、踊られていました。厳しい開拓生活の中で、故郷の旋律は人々にとって心の支えとなっていたことでしょう。

生活の中心にあった宗教音楽

植民地時代の音楽を語る上で欠かせないのが教会音楽です。当時の入植社会にとって宗教は生活の核であり、賛美歌や詩篇歌は人々が最も身近に触れる音楽でした。オランダ改革派教会をはじめ、スウェーデン系・フィンランド系入植者の教会などでも、それぞれの母国語による礼拝音楽が歌われていたと考えられます。

イギリス支配下での音楽文化の変化

1664年にイギリスがニューネーデルラントを奪取すると、この地域にも英語圏の文化が広く浸透していきます。イングランドのバラッド(物語歌)や舞曲、さらにはヴァイオリンなどの楽器を伴う娯楽音楽が次第に普及しました。18世紀にはデラウェアはペンシルベニア植民地の「下部三郡」として扱われ、やがて独自の議会を持つ植民地としての性格を強めていきます。

まとめ

植民地時代のデラウェア地方で聴かれた音楽は、オランダ、スウェーデン、イギリス、フランスといった支配者や入植者の変遷を映す鏡のような存在でした。ヨーロッパ各国の民俗音楽と宗教音楽が混ざり合い、やがてアメリカ独自の音楽文化が育まれる土台となったのです。