はじめに
アメリカ合衆国の歴史において、北部と南部は同じ出来事をまったく異なる視点から捉えていました。奴隷制や州の権利をめぐる認識の違いは、両地域の緊張を高め続け、最終的には南北戦争へとつながっていきます。ここでは、代表的な6つの出来事について、それぞれの立場からの見方を紹介します。
1. 奴隷制と廃止運動
北部の見方: 多くの北部の人々は、奴隷制を自由・平等・人権という理念に反する道徳的な悪とみなし、その廃止とアフリカ系アメリカ人への権利拡大を支持していました。
南部の見方: 一方、南部では奴隷制が経済と生活様式に不可欠な制度であると考えられていました。廃止論者の動きを社会秩序への脅威と受け止め、奴隷制を維持する州の権利を守ろうとしたのです。
2. ミズーリ妥協(1820年)
北部の見方: ミズーリを奴隷州として連邦に加え、メインを自由州とするこの妥協案について、北部は奴隷制を永続させ、その影響力を拡大する不公平な政治的譲歩だと批判しました。
南部の見方: 南部は、南北の勢力均衡を保ち、両地域の紛争を防ぐために必要な妥協であると受け止めていました。
3. 無効化危機(1832〜33年)
北部の見方: 北部は連邦政府の権威を支持し、サウスカロライナ州による連邦法無効化の試みを、国家の統一と一体性に対する重大な脅威とみなしました。
南部の見方: 南部、とりわけサウスカロライナ州の人々は「州の権利」の原則を主張し、違憲と判断した連邦法については州が無効と宣言できると訴えました。
4. 1850年妥協
北部の見方: カリフォルニアの自由州としての加盟や逃亡奴隷法を含むこの一連の妥協について、多くの北部の人々は、奴隷制を強化するだけで倫理的・道徳的な問題を何も解決しない譲歩だと批判しました。
南部の見方: 南部はこの妥協を、奴隷制の維持と政治的影響力の確保における勝利と受け止めることが多かったのです。
5. カンザス・ネブラスカ法(1854年)
北部の見方: ミズーリ妥協を撤廃し、カンザスとネブラスカの入植者に奴隷制の是非を委ねたこの法律は、奴隷制を新領土へ拡大しようとする試みであり、北部の理念への裏切りだとみなされました。
南部の見方: 支持者たちはこの法律を「人民主権」の原則の体現と捉え、入植者自身が自らの州で奴隷制を認めるかどうかを決める権利を持つと主張しました。
6. ジョン・ブラウン襲撃事件(1859年)
北部の見方: ブラウンの過激な手段を非難する声もあった一方で、多くの北部の人々は彼を、奴隷制とその不正義に立ち向かった殉教者とみなしました。
南部の見方: 南部はこの襲撃をテロ行為と捉え、北部における廃止論の高まりがもたらす脅威のさらなる証拠として受け止めました。
おわりに
これらの事例が示すように、奴隷制、州の権利、そして国家の将来をめぐって、北部と南部の間には深い亀裂が走っていました。こうした対立が積み重なり、ついに1861年、南北戦争の勃発へと至ったのです。