ミズーリ州は南北戦争でどちらの側についたのか?
ミズーリ州は、南北戦争(1861年~1865年)における「境界州(ボーダー・ステート)」の一つであり、北軍(連邦側)と南軍(アメリカ連合国側)の双方に関わる、極めて複雑な立場に置かれていました。
モンゴメリー会議への参加と連邦残留
興味深いことに、ミズーリ州はアメリカ連合国の設立につながったモンゴメリー会議に代表を派遣しています。しかし、州そのものは正式に連邦(ユニオン)から脱退することはありませんでした。つまり、法的な位置づけとしては北部連邦に留まり続けたのです。
二つの政府が並立した混乱の時代
一方で、クレイボーン・F・ジャクソン(Claiborne F. Jackson)知事が率いるミズーリ州防衛隊(Missouri State Guard)は南軍側に与し、北軍部隊との武力衝突に踏み込みました。この結果、戦争期間中のミズーリ州では、二つの政府が同時に存在するという異例の事態が生じました。
- 親南軍政府:ジャクソン知事とミズーリ州防衛隊による政権
- 親北軍政府:ハミルトン・ギャンブル(Hamilton Gamble)知事と州議会の連邦派による政権
最終的な帰結――北軍による州の掌握
激しい内部対立を抱えながらも、ミズーリ州は最終的に連邦(北軍)側に残ることとなり、1865年までに北軍政府が州全体の実効的な支配権を確立しました。ミズーリ州の歴史は、国が分裂した時代において、一つの州内でも意見や忠誠心が大きく割れていたことを如実に示す例といえるでしょう。