答えは「はい」です。デラウェア州は、アメリカ合衆国憲法制定会議(1787年)において、いわゆる「5分の3妥協(Three-Fifths Compromise)」を支持した州の一つでした。
5分の3妥協とは何だったのか
5分の3妥協とは、北部諸州と南部諸州の対立を解消するために導入された歴史的な合意事項です。この妥協により、奴隷とされた人々は、連邦議会の代議員数を決める際の人口計算および税負担の算定において、「1人あたり5分の3人」として数えることになりました。
デラウェア州が妥協を支持した理由
デラウェア州は当時の合衆国の中でも小規模な州であり、人口の少なさは議会における発言力の弱さにつながっていました。そのため、州内に存在した奴隷人口をできるだけ多く代議員数の計算に反映させることが、政治的な影響力を高める上で有利に働くと考えたのです。こうした事情から、同州は5分の3妥協の成立を積極的に後押ししました。
1790年の国勢調査との関連
1790年に行われた合衆国初の国勢調査では、この5分の3の規定が実際に適用されました。デラウェア州も調査の対象となり、州内の自由民とともに奴隷とされた人々が記録されています。当時のデラウェア州の総人口は約5万9千人であり、そのうち約9千人が奴隷とされていたことが記録に残っています。
つまり、1790年前後の時点でデラウェア州は、奴隷制がまだ公式に存在し、それを政治計算に組み込むこと自体に強い利害を持っていたのです。これは、建国初期のアメリカが抱えていた矛盾と、後に南北戦争へとつながる地域間対立の萌芽を示す重要な事例といえます。