北米の歴史

南北戦争の捕虜収容所:ニューヨーク州エルマイラとジョージア州アンダーソンビルはどこにあったのか?

南北戦争(アメリカ内戦)中、北軍と南軍の双方に悪名高い捕虜収容所(POWキャンプ)が存在しました。その代表格が、北部のニューヨーク州エルマイラと南部のジョージア州アンダーソンビルです。どちらの収容所も、過酷な環境、過密状態、そして非常に高い死亡率で知られていました。

エルマイラ捕虜収容所(ニューヨーク州)

エルマイラ収容所はニューヨーク州エルマイラの町に位置し、1864年7月に南軍捕虜を収容するために設立されました。運営期間中には、推定12,000人から15,000人の捕虜が収容されたとされています。収容所の環境は極めて劣悪で、過密状態、不衛生な環境、不十分な食料、限られた避難場所などが捕虜たちを苦しめました。その結果、推定2,500人から3,000人の捕虜がエルマイラで命を落とし、この収容所は南北戦争で最も死亡率の高い捕虜収容所の一つとなりました。

アンダーソンビル捕虜収容所(ジョージア州)

アンダーソンビル収容所はジョージア州サムター郡に位置し、1864年2月に設立されました。戦争中最大規模の南軍捕虜収容所となったこの施設には、推定45,000人の北軍兵士が収容され、その多くは1863年7月のゲティスバーグの戦いで捕虜となった兵士たちでした。アンダーソンビルの状況はエルマイラよりもさらに深刻で、極度の過密、食料と水の不足、劣悪な医療体制が捕虜を襲いました。推定13,000人の北軍兵士がここで死亡しており、アンダーソンビルは南北戦争全体で最も多くの犠牲者を出した捕虜収容所となりました。

二つの収容所が歴史に残した教訓

これらの収容所における悲惨な状況と高い死亡率は、南北両陣営から広範な批判と憤りを引き起こしました。エルマイラとアンダーソンビルにおける北軍・南軍双方の捕虜の体験は、捕虜をより人道的に扱うことの重要性を浮き彫りにし、戦後の捕虜収容制度や戦時国際法の改革を求める機運を高めるきっかけとなりました。