北米の歴史

リッチモンドをめぐるグラント軍の三大決戦――スポットシルバニアからコールドハーバーまで

1864年、ユリシーズ・S・グラント率いる北軍ポトマック軍は、ロバート・E・リー将軍の北バージニア軍を撃破し、南部連合の首都リッチモンドの陥落を目指す「オーバーランド方面作戦」を開始しました。この作戦の中核となったのが、以下の3つの激戦です。

1. スポットシルバニア・コートハウスの戦い(1864年5月8日〜21日)

ワイルダネスの戦いに続いて行われたこの戦いでは、両軍が塹壕を築き、南北戦争で初めて本格的な塹壕戦が展開されました。特に5月12日、「血まみれの角度(Bloody Angle)」と呼ばれる地点での戦闘は約20時間に及び、泥の中での凄惨な白兵戦となりました。北軍は約18,000人、南軍は約13,000人の損害を出しましたが、決定的な勝敗はつきませんでした。

2. ノースアンナの戦い(1864年5月23日〜26日)

ノースアンナ川沿いで行われたこの戦いでは、リー将軍が逆V字型の巧みな防御配置によって北軍の分断を図りました。しかし、リーは病気のため指揮能力が低下しており、決定的な反撃には至りませんでした。一方のグラントも堅固な南軍陣地への正面攻撃を避け、両軍とも大規模な損害を出さないまま膠着状態に終わりました。

3. コールドハーバーの戦い(1864年5月31日〜6月12日)

オーバーランド方面作戦最大の悲劇として知られるのがこの戦いです。6月3日、グラントは完成された南軍の防御線に対して正面突撃を命じましたが、わずか数十分で北軍は約7,000人の損害を出して撃退されました。グラント自身も後にこの攻撃について「私の人生で最も後悔している命令」と語っています。この敗北により、リッチモンドへの正面攻略は断念され、作戦はピーターズバーグ包囲戦へと転換されることになりました。

3つの戦いが歴史に残したもの

これら3つの戦いで北軍は合計5万人を超える損害を被りました。それでもグラントは後退せず、リー軍を消耗させ続ける道を選びました。この徹底した「消耗戦略」こそが、翌1865年4月のリッチモンド陥落と南北戦争の終結への道を開いたのです。