北米の歴史

チャールズ・サムナー杖撃事件とは?南北戦争前夜のアメリカを二分した暴力事件の背景と影響

1856年5月22日、アメリカ合衆国上院議場で起きた「チャールズ・サムナー杖撃事件」は、奴隷制をめぐる南北の緊張を一気に高め、やがて南北戦争(1861年〜1865年)へと突き進む大きな転換点となった暴力事件です。議会という民主的な場でふるわれたこの暴力は、言葉による対立が物理的な衝突へとエスカレートすることを象徴し、北部と南部の亀裂を決定的なものにしました。

事件の背景

カンザス・ネブラスカ法(1854年)

1854年に成立したカンザス・ネブラスカ法は、カンザス準州とネブラスカ準州への奴隷制拡大を認めるものであり、1820年のミズーリ妥協(北緯36度30分以北での奴隷制禁止)を事実上無効化しました。この法律は「独立宣言」や合衆国憲法の理念への裏切りであるとして、北部の人々に激しい怒りを引き起こしました。

「流血のカンザス」

カンザス・ネブラスカ法の結果、カンザス準州では奴隷制賛成派と反対派の入植者が主導権を争って武力衝突が頻発しました。この混乱は「流血のカンザス(Bleeding Kansas)」として知られるようになり、全国に奴隷制問題の深刻化を印象づけました。

杖撃事件の経緯

チャールズ・サムナーの演説

マサチューセッツ州選出の共和党上院議員だったサムナーは、奴隷制への強硬な反対者でした。1856年5月19日から20日にかけて、彼は上院で奴隷制を糾弾する演説を行い、その中で南部およびその政治指導者たち、とりわけサウスカロライナ州選出のアンドリュー・バトラー上院議員を痛烈に非難しました。

プレストン・ブルックスの襲撃

サウスカロライナ州選出の民主党下院議員プレストン・ブルックスは、バトラー議員の従兄弟にあたります。サムナーの演説に激怒したブルックスは、自らの手で報復することを決意します。1856年5月22日、サムナーが上院の自分の席に着いていたところへブルックスが歩み寄り、杖で頭部や体を執ように殴打し、サムナーが意識を失うまで攻撃を続けました。

事件後の影響

北部で広がる激しい怒り

サムナー杖撃事件は北部で広範な怒りを巻き起こしました。多くの北部住民はこの暴力に衝撃を受け、それを言論の自由と民主主義そのものへの攻撃と捉えました。この事件は南北間の溝をさらに深めることになりました。

南部でのブルックス支持

北部の怒りとは対照的に、南部ではブルックスの行動を支持する声が多数を占めました。南部の人々はサムナーを裏切り者とみなし、処罰されて当然だと考えていたのです。この杖撃事件は、北部の廃奴主義者たちに対する南部の反感、そして自らの制度への「攻撃」と受け取られたものへの怒りの象徴となりました。

政治への重大な帰結

この事件は政治面でも大きな影響を及ぼしました。上院はさらに二極化し、南北間の妥協点を見出すことは困難になりました。また、南部における連邦脱退(離脱)への機運を高める一因ともなりました。

まとめ

チャールズ・サムナー杖撃事件は、南北戦争前に北部と南部を分断させる決定的な役割を果たしました。この事件は両地域に根深く横たわる緊張関係を露呈させるとともに、1861年の開戦へとつながる怒りと不満の高まりを浮き彫りにしました。議会内で暴力がふるわれたこの出来事は、「話し合いによる解決」の時代の終わりと、「武力による決着」の時代の始まりを告げる出来事だったといえるでしょう。