ミズーリ妥協は1850年ではなく1820年
まず押さえておきたいのは、ミズーリ妥協が成立したのは実は1820年であり、1850年ではないという点です。
この妥協により、合衆国における奴隷制をめぐる論争は一時的に収束しました。しかし同時に、その後の南北戦争の種となる要素も内包していたのです。
妥協の内容
ミズーリ妥協の中心的内容は以下の通りです。
- ミズーリを奴隷州として、メインを自由州として連邦に加盟させることで、上下両院の勢力均衡を維持した。
- ルイジアナ買収地域のうち北緯36度30分以北では、ミズーリ州を除き、奴隷制を禁止すると定めた。
歴史的意義とその限界
ミズーリ妥協の重要な意義は、「連邦政府は準州における奴隷制の拡大を規制できる」という前例を確立した点にあります。
しかし、この原則は後に親奴隷制勢力から強い反発を受けました。彼らは「議会には準州内で奴隷制を禁止する権限は存在しない」と主張し、連邦政府の権限そのものに異を唱えたのです。
南北戦争への道程
南北戦争前夜の数年間、準州への奴隷制拡大をめぐる論争はますます激化していきました。妥協による安定は長く続かず、対立は次第に先鋭化します。
こうした対立の積み重ねは、最終的に南部諸州の連邦脱離(離脱)という事態を招き、1861年、アメリカ南北戦争の勃発へとつながっていったのです。