1850年の地域的危機と北部人の奴隷制観
1850年前後のアメリカ合衆国は、奴隷制をめぐる対立が南北間の緊張を一気に高めた「地域的危機」の時代でした。カリフォルニアの州昇格問題や逃亡奴隷法を巡って1850年妥協が議会で激しく争われる中、一般の北部人は奴隷制に対してどのような立場を取っていたのでしょうか。
大多数は奴隷制に反対
当時の北部人の大多数は、奴隷制を支持していませんでした。単なる批判にとどまらず、この制度を完全に廃止すべきだと考え、廃止運動(abolitionism)に身を投じた人々も少なくありませんでした。彼らは新聞の発行、議会への請願活動、地下鉄道(Underground Railroad)による逃亡奴隷の支援などを通じて、奴隷制撤廃に向けた世論を着実に形成していきました。
しかし、人種差別意識は根強く残存
ただし重要なのは、「奴隷制反対」が必ずしも「人種平等の支持」を意味していたわけではないという点です。多くの白人労働者の間では、アフリカ系アメリカ人はあくまで「従来の(従属的な)地位」にとどまるべきだという認識が広く共有されていました。
実際、彼らはしばしば次のような措置を支持していました。
- 公共施設や交通機関などにおける人種隔離(セグリゲーション)
- アフリカ系アメリカ人をリベリアなどの国外へ移住させる「植民地化(colonization)」構想
- 黒人を社会的・経済的に従属した立場に留めておくためのその他の諸施策
まとめ:二面性を持った北部社会
このように、1850年の危機期における北部社会の姿勢は二面的なものでした。奴隷制という制度そのものに対しては反対の声が圧倒的多数を占めた一方で、黒人に対する人種的偏見や差別意識は依然として深く根付いていたのです。「奴隷制反対」と「人種平等」が必ずしも一致していなかったという事実は、南北戦争後のレコンストラクション期に表面化する人種問題の困難さをも予感させるものでした。