よく誤解されがちな点ですが、ジョン・ベリオルはエドワード1世が個人的な判断で「選んだ」スコットランド王ではありません。正確には、スコットランドの守護者たち(ガーディアンズ)が王位請求者の一人としてベリオルを指名し、それを1292年にイングランド王エドワード1世が正式に承認した、というのが史実です。
王位をめぐる混乱――「大いなる原因」
この出来事の背景には、スコットランド王家の断絶がありました。1286年、アレクサンダー3世が不慮の事故で急逝すると、唯一の直系後継者だった孫娘マーガレット(通称「ノルウェーの乙女」)も1290年に夭逝してしまいます。これにより、王位継承権を主張する複数の貴族が名乗りを上げる事態となりました。
中でも特に有力な候補とされたのが、ジョン・ベリオルとロバート・デ・ブルース(後のロバート1世の祖父)の2人です。内乱の勃発を恐れたスコットランドの貴族たちは、隣国イングランドの強力な君主であるエドワード1世に仲裁を依頼することになりました。
エドワード1世の条件と王位承認
ただし、エドワード1世は仲裁役を引き受ける代償として、自らがスコットランドの封建的な宗主権を持つことを認めるよう要求しました。最終的に、血統上の継承順位が最も優先されていたベリオルがこの条件を受け入れ、1292年11月17日にエドワード1世によって正式に王として承認されました。そして同月30日、スコーンで戴冠式を挙げています。
まとめ
つまり、ベリオルの即位は単純に「エドワード1世の選択」だったのではなく、「スコットランド守護者による手続きに基づく指名」と「イングランド王による宗主権の確認」という二段階のプロセスによって実現したものだったのです。とはいえ、エドワードへの臣従という重い条件は結果的にベリオルの王権を不安定なものとし、やがて第一次スコットランド独立戦争へとつながっていくことになりました。