北米の歴史

なぜロードアイランド州は米国憲法の批准にこれほど時間がかかったのか?その背景を解説

最後に批准した州、ロードアイランド

ロードアイランド州は、アメリカ合衆国憲法を批准したオリジナル13州の中で最後の州でした。憲法が発効したのは1788年ですが、同州が批准したのはそれから2年以上経った1790年5月29日のことです。では、なぜこれほど時間がかかったのでしょうか?

「最初」と「最後」——よくある混同

「ロードアイランドは13植民地の中で一番最初に批准した」という話を目にすることがありますが、これは別の文書についての言及です。実はロードアイランドは、1776年5月4日にイギリス王への忠誠を真っ先に放棄した植民地であり、1778年2月にはアメリカ最初の成文憲法である連合規約を批准した最初の州でもありました。しかし、現在の合衆国憲法に関しては正反対で、最後まで署名をためらったのです。

批准が遅れた主な理由

強力な中央政府への警戒

当時の州政権を支配していたのは、農村部を基盤とする「カントリー・パーティ」と呼ばれる勢力でした。彼らは独立戦争中に発行した紙幣による負債決済など、州独自の経済政策を重視しており、連邦政府に通貨発行権などの強い権限を与える新憲法は、自州のやり方を脅かすものだと考えていました。

権利章典の不在

さらに、当初の憲法草案には個人や州の権利を明示的に守る権利章典(ビル・オブ・ライツ)が含まれていませんでした。人口の少ないロードアイランドとしては、大州に主導される強力な連邦政府のもとで、自州の声が軽んじられることを強く恐れていたのです。

住民投票でも否決、制定会議にも不参加

ロードアイランド州は1787年のフィラデルフィア憲法制定会議に代表を派遣せず、新憲法づくりに最初から距離を置いていました。1788年3月に行われた住民投票でも批准案は否決され、州内の世論は割れたまま推移しました。

転機となった「締め出し」の脅し

新政府が動き出すと、連邦議会はロードアイランドをあたかも外国のように扱い、輸出品に関税を課す方針を打ち出しました。ニューポートなど港町の商人たちにとってこれは死活問題であり、州経済への打撃が現実味を帯びるにつれ、批准を求める声が強まっていきました。

僅差で迎えた批准の日

そして1790年5月29日、州批准会議は34対32という僅差で憲法批准を可決しました。このとき連邦側が権利章典の追加を確約したことが、反対派を説得する大きな材料となりました。

まとめ

ロードアイランド州の批准の遅れは、単なる頑固さではなく、小さな州ならではの不安と、独自の経済政策を守りたいという事情が複雑に絡み合った結果でした。独立こそ真っ先に宣言したものの、国家の在り方を定める憲法には最後まで慎重だった——この対比こそが、州の自治を何よりも大切にしたロードアイランドらしい姿といえるでしょう。