1863年7月1日から3日にかけてペンシルベニア州ゲティスバーグで繰り広げられたこの戦いは、南北戦争最大の転換点となりました。北軍がロバート・E・リー将軍率いる南軍を破ることができた背景には、いくつかの重要な要因がありました。
北軍が勝利できた主な要因
有利な防御陣地の確保
北軍はジョージ・ミード将軍の指揮の下、セメタリーヒルやカルプスヒルといった高地に陣形を築くことができました。防御側に回った北軍は、南軍の度重なる攻撃を効率的に撃退することに成功しました。
圧倒的な物量と資源
北軍は南軍と比較して、兵員・大砲・補給品のすべてで優位に立っていました。この物的優位性が、消耗戦において決定的な差となって現れました。
南軍の戦術的失敗
リー将軍は攻勢を重視しましたが、3日目に行われた「ピケットの突撃」は大規模な兵力を投入しながら壊滅的な損害を受け、失敗に終わりました。さらに、J・E・B・スチュアート率いる騎兵隊が戦場を離れていたため、リーは敵の配置を正確に把握できないまま指揮を執らざるを得ませんでした。
北軍騎兵隊の貢献
初日にはジョン・ビュフォード准将の騎兵隊が南軍の進撃を食い止め、北軍歩兵主力が戦場に集結する貴重な時間を稼ぎました。また、リトルラウンドトップの防衛では、ジョシュア・チェンバレン大佐率いる第20メイン連隊の奮戦が北軍左翼の崩壊を防ぎました。
勝利後になぜリンカーン大統領は動揺したのか?
実は、リンカーン大統領がゲティスバーグの勝利後に強い失望と動揺を覚えたことは、歴史的な事実として知られています。その原因は、勝利そのものではなく、ミード将軍の「追撃回避」にありました。
敗退したリー軍は、増水したポトマック川によって退路を断たれ、事実上北軍の包囲網の中に置かれていました。リンカーンは、この好機に南軍主力を撃滅すれば戦争を早期に終結できると期待していました。ところが、ミードは慎重論を優先し、本格的な追撃を行いませんでした。その結果、リー軍は川が減水した後、ほぼ無傷でヴァージニアへの撤退に成功したのです。
リンカーンは失望のあまり、実際には送られなかった手紙の中で「我が軍は戦争を手のひらに握りながら、それを閉じようとしなかった」と記しています。この言葉には、歴史的な好機を逃したことへの深い悔しさが込められていました。
それでも戦争の転換点となった
追撃の失敗にもかかわらず、ゲティスバーグの戦い(および同時期に陥落した西部の要衝ヴィックスバーグ)は、南北戦争の明確な転換点となりました。北軍の士気は大きく高まり、国民の間に最終勝利への確信が広まっていきました。同年11月、リンカーンはこの戦場で「人民の、人民による、人民のための政治」という有名な一節を含むゲティスバーグ演説を行い、国家の理念を改めて世界に示したのです。