リンカーン郡戦争の概要
リンカーン郡戦争(1878年〜1881年頃)は、アメリカ西部開拓時代のニューメキシコ準州リンカーン郡で勃発した、商人や牧場主同士による熾烈な抗争です。後に「ビリー・ザ・キッド」としてその名を馳せることになる若きガンマンも参戦したことで、この抗争は広く知られています。争いの中心となったのは、次の二大勢力でした。
1. チュンストール派(トゥンストール=マクスウィーン派)
- 指導者:イングランド出身の裕福な牧場経営者にして実業家、ジョン・チュンストール。弁護士のアレグザンダー・マクスウィーンがビジネスパートナーとして加わり、陣営を支えました。
- 主なメンバー:ビリー・ザ・キッド、ディック・ブリュワー、チャーリー・バウドレーら、チュンストール牧場で働くカウボーイたち。彼らは後に自警団「レギュレーターズ」を結成し、復讐の先頭に立つことになります。
- 支持基盤:ドーラン=ライリー派による牛取引の独占に反発していた、地元の小規模牧場主や商人たち。
2. ドーラン=ライリー派(マーフィー=ドーラン一派)
- 指導者:ローレンス・マーフィー、ジェームズ・ドーラン、ジョン・ライリーら、リンカーン郡の経済と政治を牛耳っていた有力実業家たち。彼らの拠点となる商店は「ザ・ハウス(The House)」と呼ばれ、郡を事実上支配していました。
- 支持基盤:保安官ウィリアム・ブレイディとその部下たち、さらに一部の地元牧場主や無法者たち。
- 目的:郡内で利益の大きい牛取引を完全に掌握し、チュンストールら競合相手を市場から排除すること。
抗争の引き金と結末
1878年2月、ジョン・チュンストールがドーラン派の関係者によって射殺されたことが、抗争勃発の直接の引き金となりました。これに憤慨したチュンストール派の若者たちは復讐を掲げて武装し、保安官ブレイディの襲撃など激しい銃撃戦を展開していきます。
しかし、抗争は両陣営に多くの犠牲を出しただけで明確な決着がつかず、最終的には連邦軍の介入もあって、どちらの勢力もかつてのような影響力を失う結果に終わりました。この悲劇的な抗争は、西部開拓時代の無法と暴力を象徴する出来事として、今日まで語り継がれています。