北米の歴史

植民地時代のニューヨーク(ニューアムステルダム)とフィラデルフィアの主な違いとは?

植民地時代の北米において、ニューヨーク市(当初はオランダ植民地「ニューアムステルダム」)とフィラデルフィアは、それぞれ異なる起源と経済基盤を持つ都市として発展しました。両都市の主な違いは、その設立の背景と経済活動にあります。

ニューアムステルダム:毛皮貿易に支えられた経済

17世紀前半にオランダ西インド会社によって建設されたニューアムステルダム(現在のニューヨーク市マンハッタン)の経済は、毛皮貿易、とりわけビーバーの毛皮に大きく依存していました。オランダ人入植者は先住民族との取引を通じて毛皮を仕入れ、それをヨーロッパへ輸出することで利益を得ていたのです。

こうした商業拠点としての性格から、ニューアムステルダムは早くから多様な民族が行き交う国際的な交易都市となりました。1664年にイギリスが占領して「ニューヨーク」と改名された後も、商業都市としての伝統は受け継がれていきます。

フィラデルフィア:クエーカー教徒による農業と交易の拠点

一方、フィラデルフィアは1682年、クエーカー教徒(キリスト友会)の指導者ウィリアム・ペンによって建設されました。ペンは宗教的寛容と平和主義を掲げ、「兄弟愛の街」という名の通り、信仰の自由を認める開かれた社会を目指しました。

経済面では、ペンシルベニアの肥沃な土地を活かした農業、特に小麦の生産が中心となり、穀物や小麦粉の輸出によって急速に繁栄しました。また、碁盤目状に計画された港湾都市として大西洋交易でも重要な役割を担い、18世紀には北米有数の大都市へと成長していきます。

まとめ:両都市を分ける決定的な違い

  • ニューアムステルダム(後のニューヨーク): オランダ西インド会社が建設した商業拠点であり、先住民族との毛皮貿易(特にビーバー毛皮)が経済の柱だった。
  • フィラデルフィア: ウィリアム・ペンがクエーカー教徒の理想郷として建設し、宗教的自由のもと、農業(小麦生産)と交易を基盤に発展した。

このように、ニューヨークが「毛皮貿易」から出発した交易都市であるのに対し、フィラデルフィアは「宗教的自由・農業・計画的な都市設計」を基盤とした移民都市であった点が、両者の最も大きな違いといえるでしょう。