1861年、アメリカ合衆国は建国以来最大の危機を迎えました。それが、北部(北軍)と南部(南軍)が武力衝突した「南北戦争」です。この悲劇的な内戦の最大の原因は、奴隷制をめぐる数十年にわたる対立でした。
奴隷制をめぐる対立の深刻化
奴隷制に関する意見の相違は長い年月をかけて徐々に深まり、1860年代にはついに決定的な局面を迎えていました。もはや話し合いによる解決は困難になりつつあったのです。
南部の主張
奴隷制が合法であり、経済の重要な支柱となっていた南部諸州では、奴隷制は自らの生活様式に不可欠なものと考えられていました。南部の人々は、連邦政府が奴隷を所有する権利に干渉すべきではないと強く主張していました。
北部の主張
一方、北部諸州では奴隷制はすでに大部分で廃止されていたか、廃止への道を歩んでいました。北部の人々は、奴隷制を自由と平等という国家の理念に反する、道徳的に許されない制度だと捉えていました。さらに、連邦政府内で奴隷制擁護の州が持つ力と影響力の拡大も大きな懸念材料となっていました。
決定打となったリンカーンの当選
1860年の大統領選挙で、奴隷制の拡大に反対するエイブラハム・リンカーンが当選したことが、南北間の緊張を一気に高める引き金となりました。これに対抗する形で、複数の南部諸州が相次いで連邦から脱退し、「アメリカ連合国(南部連合)」を結成します。
連邦維持のための戦争へ
リンカーン大統領率いる連邦政府は、州が一方的に連邦を離脱することを違法な行為とみなし、武力によって連邦の統一を守ろうとしました。こうして始まった紛争が、後に「南北戦争」として知られることになったのです。戦争は1865年まで続き、アメリカ史上最も多くの犠牲者を出す内戦となりました。
まとめ
南北戦争の根本原因は、奴隷制をめぐる経済的・道徳的・政治的な対立にありました。リンカーンの当選が直接の契機となり、南部諸州の脱退と、それを認めない連邦政府の対応が衝突へと発展しました。この戦争は最終的に奴隷制の廃止と国家の再統一をもたらすことになります。