北米の歴史

南北戦争における黒人兵士:なぜ北軍には多く、南軍には少なかったのか?

「南北戦争では、黒人は北部(北軍)でのみ戦うことを許された」という見方は、必ずしも正確ではありません。実際には、アフリカ系アメリカ人は南北両陣営で戦っていました。マサチューセッツ州やニューヨーク州などの北部諸州が黒人連隊を編成した一方で、ルイジアナ州やサウスカロライナ州といった南部でも黒人部隊が組織されていたのです。

それでも北軍の黒人兵士が圧倒的に多かった理由

とはいえ、北軍(連邦軍)の黒人兵士数が南軍(南部連合軍)をはるかに上回っていたのは事実です。その背景には、次の三つの要因がありました。

1. 地域ごとの人口動態の違い

1860年の時点で、南部には約400万人の黒人が奴隷として暮らしていました。1863年の「奴隷解放宣言」以降、北軍が南部領内へ進軍するにつれて彼らは自由を得て、続々と北軍に志願していきました。また、北部にもボストンやフィラデルフィアなどを中心とした自由黒人のコミュニティがあり、そこからも多くの志願兵が集まりました。

2. 両政府の方針の違い

北軍政府は、アフリカ系アメリカ人兵士の募集に積極的でした。リンカーン大統領の奴隷解放宣言は、黒人の軍務への参加への道を大きく開いた政策でした。中でも有名なのが、映画『グローリー』のモデルにもなったマサチューセッツ第54歩兵連隊です。一方、南軍政府は当初、黒人の武装に強く反対しており、黒人部隊の編成を正式に認めたのは終戦間近の1865年3月になってからでした。

3. 白人社会の世論の違い

北部の白人は、南部の白人に比べて黒人兵士に対して概して肯定的でした。これは、数十年にわたり奴隷制廃止を訴え続けてきた廃止論者(アボリショニスト)運動の影響が大きいとされています。南部では、黒人の武装が奴隷制という社会体制そのものと正面から衝突するため、強い抵抗に直面しました。

黒人兵士たちが残した歴史的足跡

こうした要因が重なった結果、北軍には最終的に18万人以上のアフリカ系アメリカ人兵士が編成され、さらに約1万9千人が海軍に従軍しました。一方、南軍に加わった黒人兵士はごく少数にとどまっています。

黒人兵士たちは北軍の勝利に重要な役割を果たしました。彼らの献身は奴隷制廃止への道を切り開き、後の公民権運動につながる歴史的な礎となったのです。