アメリカ合衆国憲法の「権利章典(Bill of Rights)」を起草したのは、建国の父の一人であるジェームズ・マディソン(James Madison)です。
権利章典が生まれた背景
1787年、フィラデルフィアで起草された合衆国憲法は、その批准の過程で大きな論争を巻き起こしました。連邦政府の権限が強すぎるとして、個人の自由や州の権限を保障する明確な規定がないことに反対する「反連邦派(Anti-Federalists)」が多数存在したのです。
この懸念に応えるため、マディソンは初代合衆国議会の第一期会期(1789年)において、憲法改正案として一連の修正条項を提案しました。これが後の権利章典の原型となります。
マディソンの役割と功績
マディソンは当初、憲法そのものに権利保障条項は不要だと考えていました。しかし、トーマス・ジェファーソンからの書簡や国民世論の圧力を受け、方針を転換。既存の憲法の枠組みを損なわない形で修正条項を整備するという、政治的に高度な妥協案を実現しました。
彼は各州の憲法や権利宣言、そしてバージニア権利章典などを参考にしながら、言論の自由、信教の自由、武装の権利、不当な捜索・押収からの保護など、現在もアメリカの自由の礎となっている諸権利を条文としてまとめ上げました。
その後の展開
マディソンの提案をもとに議会での審議が行われ、17条から12条へと絞り込まれた修正条項は、1791年12月15日に必要な数の州の批准を経て正式に発効しました。これにより、合衆国憲法の最初の10条の修正条項、すなわち「権利章典」が成立したのです。
マディソンは後に第4代大統領に就任し、「憲法の父」と呼ばれるほどの多大な貢献を果たしましたが、権利章典の起草者としての功績もまた、アメリカ史における彼の地位を不動のものにしています。